○「揚州詩咏」(李保華著)が載せる王士禎の詩を、『浣渓沙・紅橋』、『紅橋二首』、『再過露筋祠』『冶春絶句十二首』と続けている。今回案内するのは、『真州絶句五首』である。
○最初に、『真州絶句五首』全文を紹介しておく。
(其一)揚州西去是真州、河水清清江水流、斜日估帆相次泊、笛聲遙起暮江樓
(其二)白沙江頭春日時、江花江草望參差、行人記得曾游地、長板橋南舊酒旗
(其三)曉上江樓最上層、去帆婀娜意難勝、白沙亭下潮千尺、直送離心到秣陵
(其四)江干多是釣人居、柳陌菱塘一帶疏、好是日斜風定後、半江紅樹買鱸魚
(其五)江鄉春事最堪憐、寒食清明欲禁煙、殘月曉風仙掌路、何人為吊柳屯田
○前回、『王士禎:冶春絶句』で言及していることだが、王士禎には、こういう連作で、まとまった思想を伝えたいと言う思惑がある。王士禎の名を高めた『秋柳』詩も四首の連作であるし、「冶春絶句十二首」は二十首の連作となっている。
○当然、『真州絶句五首』の連作にも、そういう王士禎の意図が見て取れるのではないか。取り敢えず、今回、ここでは、『真州絶句五首』(其一)から(其三)までを案内したい。
【原文】
真州絶句五首:其一
王士禎
揚州西去是真州
河水清清江水流
斜日估帆相次泊
笛聲遙起暮江樓
【書き下し文】
真州絶句五首:其一
王士禎
揚州を西に去ると、是れ真州、
河水は清清として、江水に流る。
斜日に估帆の、相い次いで泊し、
笛聲は遙かに起こる、暮れの江樓に。
【我が儘勝手な私訳】
揚州を西に向かうと、そこが真州である。
無数の河川の流れは清々しく、全ての河川は長江に注ぎ入る。
赤い夕陽の中、相次いで商船が真州の港へ向かってやって来るのを眺めていると、
笛の音が遠くから聞こえて来て、目を遣ると、そこには夕陽に高楼が浮かんでいた。
【原文】
真州絶句五首:其二
王士禎
白沙江頭春日時
江花江草望參差
行人記得曾游地
長板橋南舊酒旗
【書き下し文】
真州絶句五首:其二
王士禎
白沙の江頭、春日の時、
江花江草、參差に望む。
行人は記するを得、曾て游するの地、
長板橋の南に、舊酒の旗。
【我が儘勝手な私訳】
春のある日に、長江の白沙亭が建つところへ遊行した、
白い広い砂州には春の草花が、勢いよく咲き誇っているのが遠望される。
私は真州の町に嘗て遊行した時のことを、懐かしく思い出した、
その時と同じく、真州、長板橋の南には、色褪せた酒旗が春風に翻っている。
【原文】
真州絶句五首:其三
王士禎
曉上江樓最上層
去帆婀娜意難勝
白沙亭下潮千尺
直送離心到秣陵
【書き下し文】
真州絶句五首:其三
王士禎
曉に上る、江樓の最上層、
帆の去ること、婀娜として意は勝へ難し。
白沙亭の下、千尺の潮、
直ちに送る、秣陵に到るの離心を。
【我が儘勝手な私訳】
夜明け方、長江の畔にある高楼の最上階へと登る、
長江に浮かぶ帆船が揺ら揺らと頼り無げに去って行く様は、表現し難いものがある。
白沙亭の下には、東海からの荒々しい千尺の上げ潮が押し寄せて来て、
私に今直ぐにでも南京へ向かいたい気持ちにさせることである。
この上げ潮に乗り長江を遡れば、真州から南京までは直ぐ先なのだから。
○本来、詩は絶句四行詩、律詩八行詩と、単独で成立するものである。それを意識的に、このように連作すること自体は、古くから行われていた。しかし、王士禎ほど、連作を主に作詩する詩人も珍しいのではないか。
○『冶春絶句十二首』でも触れたことだが、王士禎には、連作することに拠って、絶句や律詩では表現出来ない、まとまった思想を表現しようとする意思が見て取れる。ここの『真州絶句五首』でも、その意図ははっきりしている。
○真州は、現在の揚州市儀征市真州鎮になる。南京と揚州のちょうど中間点に位置し、長江の北岸である。中国の「百度百科」が案内する真州は、次の通り。
真州
仪征市真州镇历史悠久,史有"风物淮南第一州"的盛誉,早在四五千年前就有人类在这块土地上繁衍
生息,唐宋时即为华夏著名的工商和园林城。域内文物古迹遗存颇丰,天宁塔始建于唐代,距今1300多
年;鼓楼建于明代,为全省仅存的3座鼓楼之一;慧日泉是宋代遗下的著名井泉,苏东坡曾在此汲水写
经。地处美丽富饶的长江三角洲顶端的真州镇,东临历史文化名城扬州,南濒黄金水道长江,与镇江隔
江相望,西近六朝古都南京,现为仪征市人民政府所在地,是全市政治、经济和文化的中心,被列为南
京都市的核心层和宁扬城市带中重要的卫星城市与节点城市。全镇总面积77.27平方公里,常住人口30
余万人。
http://baike.baidu.com/view/610274.htm?fr=aladdin