○前回、『王士禎:真州絶句五首』と題して、王士禎の『真州絶句五首』詩のうち、其の一から其の三までを紹介した。しかし、『王士禎:真州絶句五首』で秀逸とされる詩は、何と言っても其の四であることは、衆目の一致するところである。
【原文】
真州絶句五首:其四
王士禎
江干多是釣人居
柳陌菱塘一帶疏
好是日斜風定後
半江紅樹買鱸魚
【書き下し文】
真州絶句五首:其四
王士禎
江干に多し是れ、釣人の居る、
柳陌菱塘、一帶の疏。
好是なり、日の斜き、風定まりて後、
半江紅樹、鱸魚を買ふ。
【我が儘勝手な私訳】
長江辺には多くの漁師が盛んに漁をしているのが見え、
柳の並木道や菱の浮かんだ池とともに、一帯の風景を彩っている。
太陽が傾き、風も止んだ夕刻の時間がもっとも風情があって、
長江の中程にある赤く染まった木のもとでは、スズキを並べて売っている。
○自然体と言うのは、こういう詩を指すのであろう。まるで気負いが感じられない。絶句の要である起承転結がこれほど自然に流れているのも珍しい。真州と言う町がどういうところかと問われて、こういうふうに答えられることは、まさに神業と言うしかない。
○もちろん、詩人が悪戦苦闘、奮闘努力して詩作していることは間違いない。それなのに、まるで作為が感じられない。こんな芸当が出来る詩人は只者ではない。
○ついでに、其の五詩も案内しておく。
【原文】
真州絶句五首:其五
王士禎
江鄉春事最堪憐
寒食清明欲禁煙
殘月曉風仙掌路
何人為弔柳屯田
【書き下し文】
真州絶句五首:其五
王士禎
江鄉の春事は、最も憐れみに堪え、
寒食や清明は、煙を禁ずるを欲す。
殘月に曉風あり、仙掌の路、
何人か柳屯田を弔ふを為さん。
【我が儘勝手な私訳】
川辺の村落の春の景色は、最も風情があるのに、
ちょうど寒食節と清明節の季節で、煙を禁じているから肝心の煙が見えない。
真州の仙掌路には、明け方、西空に白く残る月に、暁の風が吹いている、
この真州仙掌路には北宋の詩人、柳永が眠っているのだが、
現代に於いて、誰がそのことを理解し、『弔柳七』の行事を行っているだろうか。
○王士禎の詩は、玄言詩である。ふんだんに故事来歴が披露されるから、読者は戸惑ってしまう。と言うか、何の話か、まるで検討も付かない。仕方がないから、一字一句、丁寧に辞書を紐解くしかないわけである。それでも判らないことがいくらでも出て来る。読者に勉強を強いる詩は、何とも辛い。しかし、それが面白いと思わない限り、王士禎の詩は読めない。
○その王士禎が尊敬する先人が王羲之であり、柳永、元好問なのであろう。「揚州詩咏」(李保華著)が王士禎の作品を、『浣渓沙・紅橋』、『紅橋二首』、『再過露筋祠』、『治春絶句十二首』、『真州絶句五首』と、五作品も載せているのが納得される。
○畢竟、揚州文学の粋は、杜牧であり、欧陽脩・王安石・蘇軾であり、王士禎なのだと「揚州詩咏」(李保華著)は言いたいのではないか。その三者が三様であるところがまた面白い。