○前回、劉長卿の「春草宮懐古」詩を紹介したが、 隋の煬帝が揚州に建設したのは春草宮だけではない。迷楼もまた揚州では有名な建物であった。その迷楼を詠った詩に、賈島の「尋人不遇」詩がある。
【原文】
尋人不遇
賈島
聞説到揚州
吹簫有舊游
人來多不見
莫是上迷樓
【書き下し文】
人を尋ぬるに遇はず
賈島
説を聞くに揚州に到る、
簫を吹くに舊游の有り。
人來、多く見ず、
是れ、迷樓に上ること莫かれ。
【我が儘勝手な私訳】
噂を聞いて、遥々、揚州へとやって来た、
笛が奏でる音楽を聞くと、嘗ての揚州旅遊を思い出した。
訪問者が多く来ると言うので、肝心の尋ね人に会見が出来なかった。
それでは、わざわざ、隋の煬帝が建てた迷樓に登る気にもならない。
○「尋人不遇」自体は、当時流行った詩題であったらしく、白居易にも「晩出尋人不遇」の佳詩がある。
晩出尋人不遇
白居易
籃輿不乘乘晩涼
相尋不遇亦無妨
輕衣穩馬槐陰下
自要行一兩坊
○また、賈島には、別に『尋隱者不遇』詩が存在し、「百度百科」が案内するほど、知られた詩である。
【原文】
尋隱者不遇
賈島
松下問童子
言師采藥去
只在此山中
雲深不知處
【書き下し文】
隱者を尋ぬるに遇はず
賈島
松下童子に問ふ、
言ふるに師は藥を采るに去る。
只だ此の山中に在りて、
雲は深く處を知らずと。
【我が儘勝手な私訳】
大松の茂るところで、若者に出遭い、隠者の在処を尋ねた。
若者が応えることには、先生は薬草採りに出掛けて今は不在ですと。
何しろその山は、鬱蒼とした山であって、隠者は其処に居ると言うけれども、
深い雲に覆われていて、到底、隠者を捜すことなど出来そうにない。
○ 隋の煬帝の迷楼は、大明寺の近くに存在したと言う。賈島の「尋人不遇」詩で、賈島が来訪したのは、大明寺の僧侶であったような気がする。嘗て鑑真和上が住持した寺である。もっとも、鑑真和上は753年に日本へ渡っているから、鑑真和上では無い。賈島が生まれたのは鑑真和上の死後の779年である。
○隋の煬帝の迷楼は、大明寺から目と鼻の先である。賈島の落胆振りを窺い知ることが出来る。2013年10月、2014年6月と、これまで2回、揚州大明寺を訪れている。賈島と違って、多くの文人を知り、多くの文学に出遭えた。揚州文学は、なかなか奥が深い。