○「揚州詩咏」(李保華著)には、白居易の作品として、「与夢得同登栖霊塔」詩と、「長相思」詞とを載せる。「与夢得同登栖霊塔」詩は、栖霊塔の連作を案内する際に、案内済みである。
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『与夢得同登栖霊塔』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39168079.html
○別に、本ブログでは、白居易の「自詠」詩も、案内している。
・書庫「痩西湖・个園」:ブログ『白居易:自詠』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39201092.html
○それで、「揚州詩咏」(李保華著)が載せる白居易の作品は全て案内したとばかり思っていた。しかし、実際は「揚州詩咏」(李保華著)が載せる白居易の「長相思」詞を紹介することを失念していたことに気付いた。今回は、その「長相思」詞を案内したい。
【原文】
長相思
白居易
汴水流,泗水流,流到瓜洲古渡頭。吳山點點愁。
思悠悠,恨悠悠,恨到歸時方始休。月明人倚樓。
【書き下し文】
長相思
白居易
汴水は流れ、泗水は流れ、
流れ到る瓜洲古渡の頭。吳山點點として愁ふ。
思ふこと悠悠、恨むこと悠悠、
恨みは到り歸る時、方に始めて休む。月明かりに人の樓に倚るあり。
【我が儘勝手な私訳】
汴水は河南省滎陽から鄭州、開封、商丘を経て淮水へ流れ注ぎ、
泗水は山東省泗水県から曲阜、昭陽湖、駱馬湖、洪澤湖を経て淮水へと流れ注ぎ、
汴水と泗水は淮水となった後、揚州の瓜洲港まで流れ到る。
揚州では、長江の遙か彼方に呉山の山々が浮かんでいるのが見え、私を悩ませる。
離れて暮らしていると、お互い、それぞれ、考えることも多いし、
離れて暮らしていると、お互い、それぞれ、悩まされることも多い。
旅人が帰って来ると言う時しか、まさに二人の悩みが消えることは無い。
月明かりの中、高殿には離れた人を頻りに思う人の姿がある。
○中国では、川は西から東へ流れるものと決まっているらしい。そんな可笑しい話は無いと思われるかも知れないが、実際、中国の川は全て西から東へと流れている。中国では、太陽は東から西へと向かって空を渡り、川は西から東へと向かって流れている。嘘のような本当の話である。
○そういうことを知ったのは、天台山を訪れて、『丰干桥(豊干橋)』脇に、『一行到此水西流』の石碑を見てからである。話が長くなるので、詳しくは以下を参照されたい。
・書庫「天台山国清寺」:ブログ『一行到此水西流』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36480394.html
○淮水は中国第三の大河である。ずっと、淮水は東進し、黄海へ注いでいるとばかり思っていた。実際に揚州を訪れると、淮水は揚州で長江に注いでいることが判る。詳しくは、以下に書いているので参照されたい。
・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『淮河と邗江』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38793228.html
○白居易の「長相思」詞は、汴水や泗水、淮水の流れで、『長相思』の思いを代弁させる。揚州から白居易の故郷である鄭州新鄭県まで汴水として、大運河は続いている。その思いを実に上手く表現している。
○嘗て、洛陽を訪れたことがある。その際、洛陽の南、龍門石窟を見学した。龍門石窟から伊河を挟んだ向かいに香山寺があって、そこに白居易のお墓が存在した。汴水から黄河を経て、伊河へ入れば、そのまま揚州から洛陽まで行けるのである。
○白居易の「長相思」詞での思い人は、故郷である鄭州新鄭県の人なのだろうか、それとも、都、洛陽の人なのだろうか。