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賀鑄:晩雲高・太平時

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○「揚州詩咏」(李保華著)の、宋代に、賀鑄『晩雲高・太平時』詞を載せる。

  【原文】
      晩雲高
       賀鑄
    秋盡江南葉未凋,晩雲高。
    青山隱隱水迢迢,接亭皋。
    二十四橋明月夜,弭蘭橈。
    玉人何處教吹簫,可憐宵。

  【書き下し文】
      晩雲高
       賀鑄
    秋は江南に盡き、葉は未だ凋ならず、晚れの雲は高し。
    青山は隱隱として、水は迢迢たり、亭皋に接す。
    二十四橋、明月の夜、蘭橈に弭む。
    玉人、何れの處にか簫を吹かしむ、宵を憐れむべし。

  【我が儘勝手な私訳】
    秋は江南まで至っているけれども、落葉樹に葉は未だ残っていて、
      夕暮れ時、赤い雲が薄く高い空に刷毛で掃いたように見える。
    山には常緑樹が青々と生い茂り、川は滔々と遙か彼方まで流れ、
      川堤が何処までも、長く続いているのを見る。
    月が明るい夜、揚州の北部、二十四橋が架かる瘠西湖に、
      小舟に乗って、舟遊びすることがあった。
    嘗てここで一緒に遊んだ妓女たちは、今現在、何処で何をしているだろうか。
      秋の夕暮れ時と言うのは、何とも物悲しいものである。

○賀鑄の『晩雲高・太平時』詞の、詞題のうち、『晩雲高』の文言は詞中に存在するから、『太平時』が詞名なのだろうと思われる。中国のことなら、あれほど何でも載せている「百度百科」に、『太平時』項目が存在しないので、よく判らない。

○賀鑄の『晩雲高・太平時』詞を読み、訳しているうちに、この詞は何処かで読んだ記憶があるような気がした。それでブログを読み直してみたら、杜牧の「寄揚州韓綽判官」詩であることに気付いた。

    寄揚州韓綽判官
         杜牧
  山隱隱水遙遙    青山は隠隠として、水は遙遙たり。
  秋盡江南草木凋    秋は江南に盡きて、草木の凋む。
  二十四橋明月夜    二十四橋、明月の夜、
  玉人何處吹簫    玉人何れの処にて簫を吹かしむ。
  ・書庫「鑑真和上の揚州」:ブログ『杜牧:寄揚州韓綽判官』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38822365.html

○「百度百科」が案内する賀鑄は、次の通り。

      贺铸
   贺铸(1052~1125)北宋词人。字方回,自号庆湖遗老。汉族,祖籍山阴(今浙江绍兴),后迁卫州
  (今河南卫辉市)。宋太祖贺皇后族孙,所娶亦宗室之女。自称远祖本居山阴,是唐·贺知章后裔,以
  知章居庆湖(即镜湖),故自号庆湖遗老。
   贺铸长身耸目,面色铁青,人称贺鬼头,曾任右班殿直,元佑中曾任泗州、太平州通判。晚年退居苏
  州,杜门校书。不附权贵,喜论天下事。能诗文,尤长于词。其词内容、风格较为丰富多样,兼有豪放、
  婉约二派之长,长于锤炼语言并善融化前人成句。用韵特严,富有节奏感和音乐美。部分描绘春花秋月
  之作,意境高旷,语言浓丽哀婉,近秦观、晏几道。其爱国忧时之作,悲壮激昂,又近苏轼。南宋爱国
  词人辛弃疾等对其词均有续作,足见其影响。
  http://baike.baidu.com/view/68729.htm

○賀鑄(1063~1120)の『晩雲高・太平時』詞と、杜牧(803~853)の「寄揚州韓綽判官」詩とを比べると判ることだが、賀鑄の『晩雲高・太平時』詞は杜牧の「寄揚州韓綽判官」詩を、そのまま利用して作詞されたものである。

○杜牧の「寄揚州韓綽判官」詩は、誰もが知る名詩である。それを賀鑄はこのようにして詞に作り替えている。詩と違い、詞はまた別の世界を見せている。そのところが何とも面白い。賀鑄の企画は大成功したのではないか。

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