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汨羅の李兄弟

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○汨羅市屈子祠鎮に存在する屈子祠に参詣したのは、旧暦5月4日にあたる6月11日、午後3時ころであった。参拝した時間は、およそ1時間。最寄りの駅、汨羅東站から屈子祠鎮までは約30劼△辰拭今日は、これから汨羅東站まで帰り、それから岳陽まで行って、岳陽に宿泊する予定である。

○汨羅東站から屈子祠まで送っていただいたタクシーの運転手さんは李朝輝さんとおっしゃる。その李さんのタクシーが来るのを屈子祠で待っていたが、なかなかやって来ない。後の日程もあるから、ここで何時までも時間を費やすことはできない。

○しばらくしたら、タクシーの空車がやって来た。李さんとの約束がなかったら、この車に乗っているところである。タクシーは駐車して、運転手さんが車の中から私を見ているから、お客さんと思っているふうであった。急いでいたので、余程、そのタクシーを利用しようかとも思ったが、李さんとの約束があるし、何より、来た時の料金を払っていない。だから待つより仕方なかった。

○10分ほど待って、やっと李さんがやって来た。「遅いよ」と言うと、李さんは笑って、「ごめんごめん」と謝っているふうであった。空車のタクシーの運転手さんを見て、李さんは手を挙げた。向こうも手を振っている。タクシーの色が一緒だから同じ会社の同僚みたいであった。

○助手席に座って、「あまりに遅いから、あのタクシーに乗ろうかと思っていた」と、手振りで李さんに話し掛けると李さんは「それは無いよ」と言うふうに笑っている。後で時間を確かめたら、李さんはしっかり1時間後にはやって来ている。私が急いていたので、遅く感じたのであろう。

○後部座席には若い女性が乗っていた。李さんが「これが例の中国語の解せない日本人だ」と言うふうに私を紹介している。女性は英語が話せるらしい。少し話してみたが、きれいは英語である。私の英語はとんと駄目であるから、なかなか聞き取れない。仕方が無いから、また、筆談である。

○来る時は、随分遠く感じたが、帰りは女性との会話で、あっと言う間に汨羅站に到着した。女性は駅前で降りた。それから汨羅東站へ向かう。途中、李さんが寄り道した。今度は若い男が乗って来た。

○男は李さんの弟で、李武輝さんとおっしゃる。日本語が上手でびっくりした。何でも普段は上海に住んでいるとか。私が今朝、上海虹橋飛行場から長沙黄花国際飛行場までやって来たと言うと、上海には日本人が多いけれども、汨羅を訪れる日本人は滅多に居ないとおっしゃる。それで屈原の屈子祠に参拝に訪れたと説明した。

○こういう地元の方に案内していただいたら、もっと汨羅観光は充実したものになった気がする。それにいろいろと教えていただくことも多かったに違いない。残念だったが、今回の旅行では、もともと汨羅観光自体に、それほど時間を掛ける余裕が無かった。

○李さんに汨羅東站まで送っていただいたのは、ちょうど5時ころであった。弟さんが切符を買うまで付き合って下さった。5時46分発の切符を買うことができた。弟さんとは、メールアドレスを交換して別れた。

○李さんには大変お世話になった。彼と出会わなかったら、これほど短時間に汨羅観光を済ませることはできなかったに違いない。何しろ、汨羅東站に着いたのは14時ころだから、4時間も汨羅に滞在していない。それに、屈子祠は汨羅東站から約30劼睥イ譴討い襦2燭箸睨擦靴ぽ駘經儻任△辰拭

○再度、ゆっくり汨羅観光をしてみたい。何しろ、汨羅は田舎である。私みたいな田舎者には汨羅は好ましいところである。できるなら、バイクで終日汨羅の町を観光したい。それに汨羅江で釣りにも挑戦してみたい。それには最低でも汨羅に2泊はしなくてはならない。

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