○大和国である奈良県を訪れると判ることだが、大和国には天皇を祀る古い神社がほとんど存在しない。神武天皇を祀る橿原神宮があるではないかと指摘されるかも知れないが、橿原神宮が出来たのは明治時代のことであるから、橿原神宮は決して古い神社ではない。
○これは極めて不思議な状況だと言える。それこそ、初代天皇、神武天皇から、代々、大和国を領地して来たのは天皇家だとされるのに、大和国で肝心の天皇を祀っていないことは、極めて不自然と言うしかない。
○大和国一の宮にしたところで、三輪明神の大神神社となっている。もっとも、一の宮自体がそれほど古い時代のものでもないので、充分注意する必要はあるけれども。少なくとも、一の宮の概念が成立した平安時代中期には、大和国一の宮が大神神社であったことは、間違いのないところである。
○大和国を丹念に歩いてみると、宗教的に大和国を領地しているのは、大和国一の宮の大神神社を始めととする出雲神と結論付けるしかない。出雲神の痕跡が、大和国の隅々まで、広く行き渡っているのに驚かされる。「古事記」や「日本書紀」などの史書が、あれほど天皇家の業績を列挙して止まないのに、実際、大和国に鎮座まします神々は、何故か、出雲神ばかりである。このことについては、2011年秋に、大和路を歩いた際、以下のブログに書いている。
・書庫「山の辺の道」:ブログ『出雲神の歩いた道』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35848835.html
○それだけではない。畿内自体が出雲神だらけなのである。「古事記」や「日本書紀」などの史書が案内する日本の歴史とは、随分差違のあることが判る。そういう状況を、何故か歴史家は語ってくれない。
○そもそも、出雲神が如何なる神であるかも、実は明らかにされていない。出雲神と言うくらいだから、出雲神の出身地は、誰もが出雲国だと信じて疑わない。しかし、全国に存在する出雲神を注意深く観察すると、どうやら、出雲神は出雲国出身では無いらしいことが判る。
○それに、出雲神が平安中期に、既に宮城県まで進出していることに驚く。それは、宮城県名取市に鎮座まします佐倍乃神社(通称:笠島道祖神)で確認される。笠島道祖神には2007年秋に訪れ、そのことは既に確認済みである。
・書庫「歌枕笠島・阿古耶を旅する」:ブログ『笠島道祖神の正体』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/291076.html
・書庫「歌枕笠島・阿古耶を旅する」:ブログ『続・笠島道祖神の正体』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28842448.html
・書庫「歌枕笠島・阿古耶を旅する」:ブログ『続々・笠島道祖神の正体』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/28850904.html
○大和国一の宮、大神神社の御祭神である大物主大神や、笠島道祖神などの出雲神の故郷が出雲国では無いことは、充分留意すべきである。それは、大和地名が大和国のものでは無いことと関係する。
○大和国の何処を探しても、大和地名の由来するところは存在しない。おそらく、大和地名は何処か他所から勧請されて大和国に定着したと思われる。同じように、出雲国の何処を探したところで、出雲地名の由来は説明出来まい。出雲地名も、大和地名同様、他所から勧請されて出雲国に定着したものとするしかない。
○丹念に、大和地名や出雲地名を追求し続けると、大和地名や出雲地名の故郷は、南九州に至る。そこが日向神話の故郷と見事に一致するのに驚かされる。また、陳寿の「三国志」が、そこを邪馬台国と規定しているのに、更に驚かされる。
○文化は総合体なのである。宗教を辿り、歴史を遡り、文学を紐解いて行くと、全てが同じ場所に帰結する。これは決して偶然では無い。そういう場所を「古事記」「日本書紀」は日向国としているし、「三国志」は邪馬台国としている。
○「古事記」「日本書紀」は八世紀の史書なのに、その規定は日向国と極めて大きな地域となっている。それに対して、三世紀の陳寿の「三国志」が規定するのは邪馬台国と、かなり限定したものとなっている。
○出雲神が日本全国に祀られている意味は、こういうところにある。言い換えると、日本を宗教的に領地しているのは、出雲神と言うしかない。だから、大和国も出雲神が領地しているのである。
○その出雲神の故郷が邪馬台国であることの意味は大きい。現在日本中に祀られている神々のほとんどの神々の故郷が、邪馬台国となる。本当は、そういうふうに神話は読むべきものなのである。
○鹿児島県鹿児島郡三島村に硫黄島が存在する。出雲神の故郷は、間違いなく硫黄島である。ここに出現した出雲神が日本を席捲した。だから、現在でも、出雲神は日本中で祀られている。