○前回、最後に、
・学者先生は、満足に「三国志」さえ読まないで、邪馬台国を案内して止まない。普陀山も知らない
で、平気で卑弥呼がシャーマンだとおっしゃる。それが現在までの邪馬台国論である。卑弥呼が存在
したのであれば、日本史上、希有の人物であることは間違いない。いくら古代のことであっても、そ
の痕跡が皆無と言うことはあり得ない。実際、卑弥呼は現代でも、日本中に祀られているし、尊崇さ
れている。
と書いた。今回は、そういう現在日本中に祀られている卑弥呼の残像を追い掛けてみたい。
○「古事記」や「日本書紀」に拠れば、神代三代の初代、彦火瓊々杵尊が天孫降臨した後、結婚したのは木花開耶姫だとされる。その木花開耶姫の親が大山祇神である。
○現在に於いて、大山祇神を斎き祀る神社としては、愛媛県今治市大三島に鎮座まします伊予国一の宮大山祇神社と、静岡県三島市大宮町に鎮座まします伊豆国一の宮三嶋大社が知られる。しかし、愛媛県今治市大三島や、静岡県三島市大宮町に、大山祇神が出現したと言う話は聞かない。もともと、伊予国一の宮大山祇神社も、伊豆国一の宮三嶋大社も、他所から勧請された神社に過ぎない。
○大山祇神を追い求めると、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島に達する。ある意味、愛媛県今治市大三島に伊予国一の宮大山祇神社が鎮座坐し、静岡県三島市大宮町に伊豆国一の宮三嶋大社が鎮座坐すのは、理に適っている。三島が大山祇神の故郷なのであるから。
○「古事記」や「日本書紀」に従う限り、木花開耶姫の母こそが邪馬台国の女王、卑弥呼とするしかない。卑弥呼は生涯独身だったのでは無いかと言うご指摘があろう。しかし、神話ではそういうことはあまり重大ではない。一族であれば養女で無くとも十分なのである。現代のように、厳密な親子関係が求められているわけではない。
○大山祇神は木花開耶姫の母なのだから、そう言う意味では、大山祇神は日本の国母の地位にあるとも言えよう。少なくとも、「古事記」や「日本書紀」は、そういう記述をしている。
○また、硫黄島は大峰修験道の故郷でもある。そのことは吉野山山頂の大峰山へ登れば確認出来る。詳しくは以下を参照されたい。
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:ブログ『辯才天・蔵王権現の故郷』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/34855152.html
●卑弥呼そのものは大山祇神なのだろうが、卑弥呼にはその信仰があることも忘れてはならない。大山祇神は卑弥呼の属性の一つに過ぎない。
●前回案内したように、卑弥呼が信仰したのは仏教であることは間違いない。そのルートは中国浙江省舟山群島普陀山から吐噶喇列島宝島を経て、硫黄島まで確認することが出来る。三世紀、中国でも、仏教はまだ新興宗教に過ぎなかった。そういう時代に卑弥呼が日本へ仏教を導入していた。その先見性こそが卑弥呼を倭国の女王へと導いたと思われる。
●そういう神仏混淆は日本オリジナルのものではないことにも留意する必要がある。昨年6月に訪れた中国南岳衡山や一昨年6月に訪問した廬山なども全く同じ神仏混淆となっている。卑弥呼が取り入れた仏教がそういうものであったことを見逃してはなるまい。
●三世紀に、中国の史家、陳寿はそういう卑弥呼に驚いたに違いない。陳寿は「三国志」で、敬意を以てそれを『卑弥呼の鬼道』と表現している。まだ、中国で満足に認知されていない宗教を取り入れていることが陳寿にとっては驚きであった。
●たまたま、越国や呉国、楚国地域がそういう仏教の先進地であった。まだ華北ではそれ程仏教が認知されていない時代の話である。それは倭国が百越の一つであったと言う地理的条件に拠るものであった。
●中国浙江省舟山群島普陀山や、吐噶喇列島宝島を何度も訪れると、卑弥呼の宗教がどういうものであったかが見えて来る。ただ、普陀山では、そういうものの多くを既に見失っていることも事実である。逆に、日本の仏教を遡ることに拠って、それが復元される。だから、しつこく何度も訪れるしかないわけである。
●古代の南九州が「日向国」であったことは興味深い。前回案内したが、邪馬台国の女王は、「卑弥呼」ではなく、「日向=ヒムカ」だったと思われることが判る。卑弥呼の宗教は太陽崇拝であったのである。
●その卑弥呼の宗教は、日本では辯才天信仰として信仰されていることを理解する。そのことは、これまで日本三大辯才天とされる安芸の宮島・近江の竹生島・大和天川村の天河大辨財天社・相模江島神社を訪問してみれば判ることである。本ブログでは、それらを全て参詣し、確認している。
・書庫「吉野山の正体」:29個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/389714.html?m=l&p=1
・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」:17個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1177040.html?m=l&p=1
・書庫「竹生島」:12個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1198869.html?m=l
・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」:33個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1201609.html?m=l&p=1
・書庫「安芸・宮島・弥山」:26個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1202242.html?m=l&p=1
・書庫「湘南旅情」:11個のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1251628.html?m=l
◎また、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へも何度か訪れている。これまで三島村を訪問したのは、
・2009年5月30日(土)
・2009年6月11日(木)
・2010年10月30日(土)・31日(日)
・2011年3月13日(日)から18日(金)
・2011年11月25日(金)から29日(火)
・2012年8月22日(水)
と6回目訪問している。
◎卑弥呼の肖像を描きたいと思うのであれば、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島を訪れるしかない。硫黄島は面積11、65km²の小さな島である。周囲も15劼らいなのに、標高703辰領臆岳が屹立し、年中煙を吐いている異様な島である。
◎天気が良ければ、薩摩半島から硫黄島・竹島・黒島の三島を望見することが出来る。開聞岳山頂からも三島は見ることが出来る。
◎鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島で見る風景と、中国浙江省舟山群島普陀山や吐噶喇列島宝島で見る風景はまるで同じものである。そういう光景を見た者にしか卑弥呼の肖像を思い描くことは難しい。