○大和国の出雲神については、これまで本ブログでは何度も書いている。今更、ここで述べる必要も無い気もするけれども、邪馬台国の宗教に言及する限り、避けて通れない問題でもある。それで、ここで整理して述べておきたい。
○現在、奈良県の大和国を訪れると、大和国一の宮である大神神社を筆頭に、大和国は完全に出雲神に占有されていることが判る。このことについては、以前、以下のブログで述べているので参照されたい。
・書庫「山の辺の道」:ブログ『出雲神の歩いた道』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35848835.html
○何故、大和国を占有するのが天皇家の神では無く、出雲神であるのか。そういう大事な問題に誰も言及しない。古代は宗教の時代である。そういう時代に大和国で信奉されていたのが出雲神であることの意義は大きい。
○邪馬台国畿内説で有名な箸墓古墳にしたところで、存在するのは奈良県桜井市箸中の纒向古墳群で、そこは三輪山の麓に当たる。どう考えたところで、箸墓古墳に眠る人物は三輪山の大神神社の信徒以外にあり得ない。そういう肝心の問題が等閑にされている。
○村井康彦著「出雲と大和」(2013年刊:岩波新書)を読んで、村井康彦が出雲神の本質を磐座崇拝としていることは注目に値する。村井康彦も大和国を席捲している神が出雲神であることに言及している。ただ、村井康彦はそれ以上、出雲神がどういう神であるかを追い求めようとはしない。
●「古事記」「日本書紀」を読むと、すでに神話の時代に出雲神は北陸や信州まで進出しているし、平安時代には陸奥国に実方中将の笠島道祖神での故事が見える。出雲神は出雲神の名称があるけれども、決して出雲国のものでは無いことに留意する必要がある。
●村井康彦が言うように、出雲神の本質は磐座崇拝にあるのだが、出雲神の性格はそれだけではない。出雲神を形成する大きな要件の一つに、出雲神が神仏混淆の神であることが挙げられよう。村井康彦はそういう大事な要件を忘れて出雲神を論じようとする。それでは出雲神を論じることは出来ない。
●更に、出雲国の何処にも、「八雲立つ出雲」の風景を見ることが出来ないことも気になる。そのことは大和国で大和地名を説明出来ないのと同じである。つまり、大和国も出雲国も、もともとそこが大和国では無く、出雲国では無いことを証明している。
●大和地名を辿ると、それは薩摩半島に達する。同じように、出雲地名を辿ると、それは鹿児島県硫黄島に達する。何の事は無い。大和地名も出雲地名も、もともとは邪馬台国の地名であったことを理解する。
●誰もが出雲神は出雲出身だと勝手に妄信して止まない。しかし、よくよく考えると、日本創世記は日向国なのである。出雲神が日本創世記に関わる神である以上、出雲神が日向国出身であることは、ある意味、当たり前のことである。日本創世記は決して日本中で始まったわけではない。「古事記」「日本書庫」を読む限り、それは日向国とするしかないわけである。
○前々回、ブログ『富士山登山』で述べたように、駿河国一宮は、富士山本宮浅間大社と申し上げ、静岡県富士宮市宮町に鎮座坐す。御祭神は木花之佐久夜毘売命で、富士山は富士山本宮浅間大社のご神体である。甲斐国一宮も、浅間神社と申し上げる。ただ富士山本宮浅間大社が『せんげん』なのに対し、こちらは『あさま』と称する。山梨県笛吹市一宮町一宮に鎮座。御祭神は木花開耶姫命。
○しかし、富士山に木花開耶姫命が出現した話は聞かない。当然、木花開耶姫命は日向国から勧請された神であると理解する。まさか大和国や出雲国が他所から勧請された神を斎き祀っているとは誰もが信じない。しかし、それが現実なのである。
○そういう混乱を引き起こす原因が「古事記」「日本書紀」にあることは言うまでもない。もともと「古事記」「日本書紀」が編纂された時代に、相当の無理を承知で「古事記」「日本書紀」は編纂されている。そういう事情を十分考慮し、史料批判を行って「古事記」「日本書紀」は読まないといけない。
◎そういう意味では、大和国に出雲神が斎き祀られているのは、至極当たり前のことだとも言えよう。何故なら、もともと大和国は出雲神の占有するところであったからに他ならない。最初から、大和国は出雲神を信奉する人々の国であった。
◎どういうことかと言うと、大和国に住んでいたのは、薩摩半島から移って来た人々で、出雲神の信奉者であった。だから、大和国名が付いたのである。大和国名を奈良県へ持ち込んだのは出雲神の信奉者なのである。
◎これがもし、天皇家の祖先であれば、奈良県は狗奴国の国名であったかもしれない。神代三山陵を辿る限り、天皇家の出身地は大隅国とするしかない。
●それでも、大和国に天皇家が進出していることも事実である。それはどうなるのかとおっしゃるかもしれない。しかし、人が存在するには両親が不可欠である。その父親の系列が天皇家であって、その母親の系列が出雲神であるに過ぎない。つまり、大和国は、そういう両者が共存することに拠って成り立っている国家であった。
●当時、日本社会は母系社会であったから、史実では大和国は当然、出雲神の領知するところとなっている。しかし、「古事記」「日本書紀」が編纂された八世紀は、父系社会へと移行する時期でもあった。それで「古事記」「日本書紀」は最新の思想で描かれた。それが私たちが目にする「古事記」であり「日本書紀」なのである。
●大和朝廷の大和国を領知するのが天皇家の神では無く、出雲神であると言うのは、そういうことに基づく。当然、出雲神の出身は出雲国ではなく、硫黄島だと言うことになる。日本の神々を辿ると、多くの神々の故郷が硫黄島であることに驚く。まさに、硫黄島は神々の故郷なのである。
◎「八雲立つ出雲」の枕詞は、そういうことを教えてくれる。枕詞の言霊は何とも凄まじい。謙虚に枕詞を研究すれば、そういうことが判る。それが言葉の力である。
◎また、古代で宗教を抜きに語ることの無謀さも忘れてはなるまい。日本の神話学はそういうことにほとんど関知しない。古代は宗教の時代でもある。宗教を遡ると、古代社会が見えて来る。私たちが想像している以上に、古代社会は国際社会であることにも驚く。
◎そういうことを理解するためには、史書を読んで古代社会を理解しようとしてはならない。史書を読んで、古代社会の舞台へ出掛けてみることである。大和国を知らないで、大和国家は語れない。同じように、日向国を知らないで、日向神話は語れない。
◎もっと遡ると、陳寿の「三国志」を理解しようと思えば、朝鮮半島へ出掛けてみることだし、対馬国や壱岐国へも赴く必要がある。更に中国会稽や寧波、舟山群島を知らない限り、「三国志」『倭人伝』を読み解くことは難しい。
◎「三国志」を読むと言う作業は、そういうことを全て含む。「魏志倭人伝」だけを読んで、得意になって邪馬台国や卑弥呼を語るようでは、底が知れていると言うしかない。読書と言うのは、そんな簡単な作業では無い。
◎誰もが「魏志倭人伝」を読んだとおっしゃる。しかし、そういうのは読んだとは言わない。眺めているに過ぎない。第一、「魏志倭人伝」の主題さえ明らかにされない読書に、何の意味があろうか。
◎「魏志倭人伝」を読むと、当然、「魏志倭人伝」の主題がはっきり見えて来る。それは倭国三十国の鳥瞰図である。そういうものを記した書物は「完読魏志倭人伝」(2010年刊:高城書房)しかない。
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【南九州三国】
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