○三世紀、倭国を1984字も記録してくれているのが、陳寿の「三国志」である。陳寿が記述する「三国志」では、当時倭国は三十国に分かれていたと言う。その倭国三十国の国名まで、陳寿は丁寧に記録してくれている。何とも親切で丁寧な記述をしてくれていることに、日本人は感謝すべきだし、その情報をきっちり受け取って、三世紀の倭国の状況を正確に認識するのが、書いてくれた陳寿に対するせめてもの責務であろう。
○「三国志」全六十五巻のうち、魏書が三十巻、蜀書が十五巻、呉書が二十巻で、倭国が記録されているのは、魏書の最終巻三十『烏丸鮮卑東夷伝』の最後に、『倭人の条』として記述されている。通称として、これを日本では「魏志倭人伝」と称している。
○「魏志倭人伝」は、字数にして、わずか1984字に過ぎない。誰でも簡単に10分もあれば読破出来る代物である。それなのに、誰も邪馬台国を発見出来ていない。それなら自分が発見してやろうと言う野心を誰もが抱く。
○何しろ、彼の新井白石や本居宣長が挑戦した冒険なのである。それでも邪馬台国を発見出来なかった。そういう世紀の大発見である。誰もが自分の知性を発揮して、邪馬台国発見をしてやろうと言う野望を抱くことになる。
○「魏志倭人伝」の原文は、岩波文庫にあるから、誰でも容易に手に入れることが出来る。読むのは10分で十分である。後は、自分の知性を信じれば、誰でも読むことが出来る。誰もがそう思って「魏志倭人伝」に挑戦する。
●しかし、そういう目論見は、見事に跳ね返されてしまうだろう。「魏志倭人伝」を読むことは、そんなに簡単なことでは無い。最低でも、「三国志」「史記」「漢書」くらいは目を通さない限り、「魏志倭人伝」を読む資格が無いからである。中国の史書には独特の作法があって、その作法に従わない限り、「魏志倭人伝」は読むことは出来ない。
●その作法にしたところで、人に教わるものでもない。丁寧に中国の史書を読んで、自分で身に付けるしかないのが中国の史書の読み方なのである。また、それは「史記」と「漢書」と「三国志」とでは全く別物なのである。そのことを理解するだけでも、膨大な時間を要する。
●「魏志倭人伝」1984字は、そういう代物である。第一、「三国志」魏書巻三十『烏丸鮮卑東夷伝』だけでも9426字もある。『烏丸鮮卑東夷伝』も通読しないで「魏志倭人伝」を読み解こうなどと考えること自体に無理があることは、容易に理解されよう。
○「魏志倭人伝」で、陳寿が目論むのは倭国三十国の案内である。それが「魏志倭人伝」の主題であることは、誰が考えても判ることである。ところが、これまで、その「魏志倭人伝」の主題すら、紹介している人は居ない。それ程、「魏志倭人伝」を読むことは難しい。
○「魏志倭人伝」を正確に読むと、倭国三十国は、以下のようになる。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○これを読み解くことが如何に困難であるか。それはこれまで誰もこういうふうに倭国三十国を案内した人が居ないことからも明らかである。こういうふうに「魏志倭人伝」を読み解くと、何とも陳寿が恐ろしい史家であることに気付く。これほど完璧な倭国三十国の案内は無い。これが陳寿の実力なのである。そう思うと、ただ恐れ入るしかない。
○中国の史書の読み方の第一は、何と言っても、まず尊敬から始まることを忘れてはなるまい。司馬遷の「史記」、班固の「漢書」、陳寿の「三国志」といずれを取っても、最上の史書であることは間違いない。端から疑って掛かるべき現代の書物とは、出来が違うのである。
○それもそのはずで、当時、誰でも著作が許された時代では無い。最初から選ばれた人間が更に選ばれてものしたのが「史記」であり「漢書」であり、「三国志」なのである。間違っても読者より知性が劣ることなど、あり得ない話である。
○もとより、読者は自由である。ただ、だからと言って、我が儘勝手な読書が許されるわけではないし、そんな読書が古典に通用するはずも無い。凡庸な私などが発言するより、碩学、宮崎市定の言葉はずっと重い。その宮崎市定の言葉を借りると、次のようになる。
このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、これは
古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者との知恵比べであ
る。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、本文はまっとうな意味を
伝えてくれないのである。 (「宮崎市定全集5 史記」自跋)
○その宮崎市定が「魏志倭人伝」に挑戦しようとしなかった話は有名である。「魏志倭人伝」を読み解くと言うことはそういうことである。決して片手間に出来ることではない。そういう覚悟を以て「魏志倭人伝」を読んでいる人は少ない。
●「三国志」の陳寿は、何とも恐ろしい史家である。「魏志倭人伝」の主題を読み解いたくらいで喜んでいたら、陳寿に笑われてしまう。そういうふうに思わない限り、「三国志」は読めない。
●そう考えて、更に「魏志倭人伝」を読み続けると、「魏志倭人伝」には裏主題が存在することに気付く。それに気付かないようでは、到底、陳寿の読者にはなれない。
●「魏志倭人伝」の裏主題とは、倭国が百越の一つであるとする考え方である。それを案内しているのが次の二つの表現である。
・計其道里、當在會稽、東冶之東。
・所有無、與儋耳朱崖同。
●これを読み解くことは更に至難の業である。これを理解するには中国を訪れ、中国で「魏志倭人伝」を読むのが良い。私はたまたま日本で理解することが出来たが、それを確信したのは中国寧波や会稽を何度も訪れたことに拠ってであった。
●結果、陳寿の「魏志倭人伝」の裏主題を案内すれば、次のようになる。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島(50辧泡吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
●ちなみに、坊津は日本三津の筆頭であり、邪馬台国の交易港でもある。
◎邪馬台国が薩摩半島であることは、そういうことなのである。そのことは八世紀の日本最古の史書「古事記」「日本書紀」が裏付けていることでもある。
◎更に、現存する日本最古の歌集「万葉集」が案内する大和三山和歌からも、それは確認出来る。邪馬台国には、今でも邪馬台国三山が聳え立っている。ここで検証しているのが、その邪馬台国三山なのである。
◎加えて、日本の宗教を遡ると、古くから存在する日本の宗教のほとんどが薩摩半島のものであることを理解する。それは神々だけでは無い。仏教も同じなのである。
◎陳寿に敬意を払って「三国志」を読むと、そういうことが判る。陳寿は何とも恐ろしい男である。ただ、日本にもそういう表現者が居ることも忘れてはなるまい。私たちはそういう日本の表現者に鍛えられて読解力を身に付けることが出来る。その筆頭が芭蕉であり、小林秀雄なのではないか。
◎一介の遺跡や遺物から邪馬台国や卑弥呼を想像する現代の邪馬台国論は虚妄の説ばかりである。邪馬台国が北九州だとか畿内だとする虚妄の説は聞くに耐えない。邪馬台国も卑弥呼も「魏志倭人伝」に記された史実なのである。肝心の「魏志倭人伝」に拠らない邪馬台国論ばかりが世に氾濫している。そんな虚妄の説を学者先生が真面目に唱えている。笑止千万とは、そういうことを言うのではないか。
◎恐ろしいことに、日本史の教科書はもとより、現代日本を代表する日本史の著作もそういう類のものばかりである。少なくとも「魏志倭人伝」には、そういうふうに記されていない。誰もが「魏志倭人伝」の拠ればと言いながら、誰も「魏志倭人伝」を読んでいない。何とも日本は読解力の無い、貧しい哀れな国だと言うしかない。