Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

舎衞國が硫黄島であること

$
0
0

○前回、「吐火羅國と舎衞國」と題して、「日本書紀」の孝徳紀・斉明紀・天武紀が記す『吐火羅國・舎衞國』の記録について言及した。「日本書紀」が記録しているのは、孝徳紀・斉明紀・天武紀の時代としているが、相当古い時代から吐火羅國と舎衞國は存在した思われる。

○また、白尾國柱が「麑藩名勝考」で案内しているように、吐火羅國と舎衞國が薩南諸島に存在したことも間違いあるまい。ただ、吐火羅國は吐噶喇列島平島で、舎衞國が臥蛇島だとする説には賛同出来ない。

○前回、「日本書紀」が記す吐火羅國は、吐噶喇列島全体で、舎衞國は硫黄島だろうと案内した。吐噶喇列島は「トカラ・吐噶喇・吐火羅・寶・渡加羅」などと、いろいろと表記されるから、現在の鹿児島県十島村全体がそっくりそのまま吐火羅國であることで納得される。白尾國柱が言うような、一島である可能性は低い。何故なら、吐噶喇列島の一島が国を形成するにはあまりに小さいのである。そのことは、吐噶喇列島へ出掛けてみれば、了解される。

○今回、ここで問題にするのは、舎衞國が硫黄島であることである。我が家は浄土真宗の門徒であるからして、法事のたびに「佛說阿彌陀經」を聞くことが多いし、これまで幾度と無く「佛說阿彌陀經」は書写している。
  ・書庫「無題」:ブログ『父の命日に』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/32789897.html
  ・書庫「無題」:ブログ『佛說阿彌陀經』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35382175.html
  ・書庫「無題」:ブログ『佛說阿彌陀經』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38581265.html

○その冒頭は次の通り。
      佛說阿彌陀經
          姚秦三蔵法師鳩摩羅什奉詔訳
   如是我聞。一時佛、在舍衛國、祇樹給孤獨園、與大比丘衆、千二百五十人倶。
  皆是大阿羅漢、衆所知識。長老舍利弗、摩訶目犍連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶倶絺羅、
  離婆多、周利槃陀伽、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅墮、迦留陀夷、摩訶劫賓那、
  薄拘羅、阿㝹樓駄、如是等、諸大弟子、并諸菩薩摩訶薩、文殊師利法王子、阿逸多菩薩、
  乾陀訶提菩薩、常精進菩薩、與如是等、諸大菩薩、及釋提桓因等、無量諸天大衆倶。

○「佛說阿彌陀經」の冒頭に出現するのが『舍衛國』である。「佛說阿彌陀經」には『舍衛國』と案内するけれども、正確には『舍衛國』ではなく『舍衛城』と表記する方が正しい。ウィキペディアフリー百科事典が案内する「舎衛城」は、次の通り。
      舎衛城
   舎衛城(しゃえいじょう、名称については後述)は、古代インドのコーサラ国にあった首都である。
  【名称】
   ・サンスクリット語:Śrāvastī(シュラーヴァスティー)
   ・パーリ語:Sāvatthī(サーヴァッティー)
   ・音写:室羅伐・室羅伐悉底など 音写の略称:舎衛
   ・漢訳(意訳含む):聞者・聞物・豊徳・好道
  【歴史】
   仏教が布教された町として多くの仏典に登場する。バーセナディ国王や息子のビルリ王が居住した。
  『大智度論』では、釈迦が舎衛城に25年滞在し、バーセナディ王やスダッタ長者など、多くの民衆を
  教化したといわれる。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8E%E8%A1%9B%E5%9F%8E

○つまり、『舍衛國』は国ではなくて町の名であることが判る。だから『舍衛國』と表記するより、『舍衛城』表記の方が理に適っている。もっとも都市名であるから『舍衛』でも十分である。

●前に、ブログ『薩摩国と日向国』で、白尾國柱の「麑藩名勝考」冒頭文を案内した。
      【薩摩國】
   薩摩者幸島也。取諸天孫紀所謂山幸・海幸之義。萬葉集有薩男・薩人・薩弓・薩矢等之称。
  皆就兵或猟而言。此乃出自山幸・海幸之證矣。冠辞考曰、薩男・佐豆人なども左知男・左知人と言ふ
  べきを、知と豆と音通へば、後に左通男・左都人と言ふ。摩者島之略、往昔は日向より薩摩かけての
  地を島門と言ひしも、幸島之門の省ける歟と思はる。島とは、此の方にては、周廻に界限のありて、
  一區なる域を言ふ名なり。本は必ず海のみならず、國中にて山川などの環れる地にも言へり、と國號
  考に見えたり。

●「麑藩名勝考」冒頭で、白尾國柱は『薩摩者幸島也。』と見事に断じてみせる。薩摩の名義が『さちしま』だとする白尾國柱の眼力に驚く。詰まるところ、白尾國柱が言うように、薩摩の名義は『さちしま』だとするしかない。

●ただ、白尾國柱は、その『さちしま』が何処であるかを案内しているわけではない。諸条件を勘案すれば、『さちしま』は鹿児島県三島村硫黄島になる。第一、ここは薩摩国であるし、出雲神の故郷であり、辯才天信仰の故地でもある。本ブログでは、その証明の為に、これまで膨大な論拠を示して論証して来ている。詳しくは、そちらを読んでいただくしかない。
  ・書庫「吉野山の正体」
  ・書庫「熊野から天川村・吉野・国中への旅」
  ・書庫「三島村・薪能「俊寛」」
  ・書庫「竹生島」
  ・書庫「硫黄島」
  ・書庫「三島村秘史」
  ・書庫「Camellian硫黄島」
  ・書庫「奥駈道を歩く(吉野から弥山まで)」
  ・書庫「安芸・宮島・弥山」
  ・書庫「ツワブキの硫黄島」
  ・書庫「竹島・硫黄島・黒島」
  ・書庫「湘南旅情」

◎白尾國柱が「麑藩名勝考」冒頭で、『薩摩者幸島也。』と断じた島が硫黄島であることは、ある意味、国学者白尾國柱にとっては、何とも皮肉な結果であるけれども、硫黄島は間違いなく『さちしま』であって、『諸菩薩摩訶薩の国』だと言うことになる。

◎ちなみに『舎衞』は『しゃえ』とか『さえ』と呼ぶ。それが『さえしま』から『さいしま』とか『さつしま』とか『さちしま』へと変化したものと思われる。

◎ついでに言うと、硫黄島の名義も気になる。私たちは硫黄島を訪れると、硫黄島は火山の島であり、常時、噴煙を揚げている島だから、硫黄島の名義に何の疑問も抱かない。硫黄の採れる島だから硫黄島の名義は当たり前のことと信じて疑わない。

◎しかし、おそらく、硫黄島は硫黄が採れるから硫黄島なのではない。このことは、中国寧波を訪れた時に、寧波在住の通訳兼ガイドの李さんに教わったことである。

◎李さんに連れられて、寧波の多くの寺院に参詣した。その一つが阿育王寺である。阿育王寺参詣の際に、李さんが「阿育王寺を寧波では『アイクオウジ』とは表現しないのですよ。寧波では阿育王寺は、ほとんど『イオウジ』と表現します。阿育王寺の『阿』は発音しません。」とおっしゃるのを聞いて驚いた。

◎このことについては、以下のブログに書いている。
  ・書庫「寧波漫歩」:ブログ『阿育王寺と硫黄島』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36641505.html

◎私たちは硫黄島は硫黄島だと信じて疑わない。しかし、本当は阿育王島である可能性が高い。硫黄島に存在したのは、その後日本を席捲する仏舎利塔崇拝の信仰だったのかも知れない。

◎白尾國柱が言うように、硫黄島は『さちしま』であるに違いないし、『諸菩薩摩訶薩の島』なのであろう。それは舎衞國であることを意味する。もっとも舎衞國は国では無いから、『舎衞城』が相応しい。

◎安芸の宮島は日本三景の一つとして知られ、現在、世界遺産にも登録されている観光地であるが、本来、ここは辯才天信仰の島であった。現在、安芸の宮島の中心は厳島神社で、御祭神は宗像三女神となっているけれども、もともとこの地に斎き祀られていたのは辯才天である。だから、「平家納経」が行われた。宗像三女神に「平家納経」が行われるはずも無かろう。

◎それに、この地はもともと佐伯郡宮島である。佐伯氏が領地するところが宮島であった。その佐伯氏がもともと『舎衞城』氏であることに誰も留意しない。佐伯氏は辯才天を信仰する人々であったことを知る人は居ない。

◎蛇足ながら、弘法大師も佐伯氏である。もちろん、弘法大師が辯才天信仰の申し子であることは言うまでも無い。そういう古代の信仰の原点が硫黄島である。硫黄島は何とも恐ろしい島である。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles