Quantcast
Channel: 古代文化研究所
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

魏志倭人伝の裏主題

$
0
0

○前回、「魏志倭人伝の主題」と題して、「魏志倭人伝」が案内する倭国三十国の全貌を紹介した。「魏志倭人伝」全文1984字は、上段556字、中段827字、下段601字の三段から構成されている。そのことは、本ブログではこれまで何回か案内している。
  ・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『「魏志倭人伝」全文』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39039481.html

○「魏志倭人伝」上段556字は、普通、帯方郡から邪馬台国までの道程を案内するものと思われている。しかし、よくよく「魏志倭人伝」を読むと、陳寿が「魏志倭人伝」上段556字で案内するのは、それだけではない。陳寿がここで案内する最終目的は帯方郡から邪馬台国までの道程では無く、次のような倭国三十国の鳥瞰図であることが判る。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○これが「魏志倭人伝」の主題であるなら、これ以降の文は蛇足になる。しかし、それにしては膨大な分量が残されている。当然、そこにも陳寿の何らかの意図が潜んでいると考えざるを得ない。

●普通には、中段827字が案内するのは倭国の習俗で、下段601字が案内するのは倭国と魏国との交流だとされる。確かに、表面上はそういうことなのだが、中段827字をよくよく読むと、倭国の習俗ではないことがさり気なく表現されていることに気付く。

●2010年1月に、「完読魏志倭人伝」(高城書房刊)を出す前に、そのことについては気付いていて、2009年5月には三島村硫黄島を訪問し、同じ2009年7月には十島村宝島を訪れている。

●十島村宝島の先が中国浙江省舟山群島であることも理解していた。しかし、中国への個人旅行は、なかなか大変である。それで手始めにパック旅行で2011年10月に江南旅行をして、上海から杭州や会稽、蘇州を旅した。

●中国浙江省舟山群島を最初に訪れたのは、2012年3月であった。寧波に5泊し、寧波から舟山群島や天台山などを訪れた。その後、舟山群島には併せて5回訪問している。

○陳寿が「魏志倭人伝」中段827字で表現したかったのは、どういうことか。そのことは中国を訪れる前に、ある程度予測出来ていた。しかし、それが確信できたのは、何度も中国を訪問した結果である。

○日本で「魏志倭人伝」を読んでいると、どうしても日本中心に物事を考えてしまう。それは私が日本人であるからかも知れない。中国へ赴き、中国で「魏志倭人伝」を読むと、中国から見た日本が見えて来る。もともと「三国志(魏志倭人伝)」は、中国の書物であって、中国人の為に書かれた史書なのである。決して日本人の為に書かれた史書ではない。そういうことを理解する為には、中国で読む「三国志(魏志倭人伝)」は、日本で読む「三国志(魏志倭人伝)」とは、まるで違ったものとなる。それは実際体験しない限り、ななかなか理解されないことかも知れない。

○「魏志倭人伝」中段827字冒頭は、次のように始まる。
   男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽、斷髪文身以
  避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以為飾。諸國文身各異、或左或右、
  或大或小、尊卑有差。計其道里、當在會稽、東冶之東。

○これらの表現は、倭国の習俗を案内するにしては、過剰の表現とするしかない。ここには、「魏志倭人伝」の編者、陳寿の何らかの意図がある。「會稽・東冶」について、普通には「会稽郡東冶県」だとする説が有力視されている。

○「会稽郡東冶県」は、現在の福建省閩侯県あたりだとされる。しかし、福建省閩侯県と倭国との関係は皆無と言うしかない。福建省閩侯県の東であれば、それは台湾島となってしまう。それなら、台湾島が邪馬台国だと言うことになる。しかし、それでは帯方郡からの距離がまるで合わない。

○「會稽、東冶之東」が、「会稽、東明之東」の誤記か誤字であることは、会稽や寧波を訪れ、会稽や寧波の歴史を辿れば、明らかである。中国で明王朝(1368~1644)が成立するまで、寧波は明と呼ばれていた。つまり、「會稽、東冶之東」は「会稽、東明之東」の誤記か誤字であって、「東明」の地域こそが舟山群島なのである。

○そう考えると、陳寿が、
  ・計其道里、當在會稽、東冶之東。
と表現した理由がはっきり見えて来る。それは、
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島(50辧泡吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧
と言う、中国から倭国へのルートを指す。

○これまで、会稽には3回訪れ、寧波や舟山群島には5回訪れ、吐噶喇列島は3回訪れ、硫黄島には6回訪れ、そのことは確認済みである。

●また、「魏志倭人伝」中段827字には、次のような表現も存在する。
  ・所有無與儋耳、朱崖同。

●「儋耳・朱崖」は、中国海南島の郡名である。倭国の風土が中国海南島と同じだとするこの表現に誰もが戸惑う。結果、陳寿の混迷だと片付けてしまう。

●しかし、相手は百年に一人と評される史家なのである。混迷は読者の方にあると考えた方が賢明だろう。「會稽、東冶之東」が、「会稽、東明之東」であることから判るように、「三国志(魏志倭人伝)」の編者、陳寿の強烈なメッセージがここにも潜んでいると思わざるを得ない。

●結果、見えてくるのは、中国の地理観である。古来、中国では倭は百越の一つであるとする伝統的な考え方がある。おそらく「所有無與儋耳、朱崖同」と言う表現は、そのことを意味している。

●つまり、百越の南端が中国海南島の「儋耳・朱崖」であって、東端が倭国であることを表現したのが「所有無與儋耳、朱崖同」と言う表現ではないか。同じ百越の一つであることを意味する。そういう伝統的な考え方に拠って表現されたのが「所有無與儋耳、朱崖同」と言う表現だろう。

◎陳寿が「魏志倭人伝」中段827字で表現したかったのは、多分、そういうことなのだろう。「魏志倭人伝」中段827字は決して倭国の習俗のみを表現しているわけではない。ここには、そういう陳寿の深謀遠慮が隠されている。

◎何とも陳寿と言う史家が面倒な男であることが理解されるのではないか。日本にも芭蕉と言う俳人が居て、ジャンルはまるで異なるけれども、同じような表現を試みている。陳寿や芭蕉に付き合うのは大変である。それでも、付き合う価値があることは間違いないし、面白い。

◎主題だけでは無く、裏主題まで用意周到に準備する陳寿と言う史家は、煮ても焼いても食えない。どうしようもない大文学者であり、偉大な史家と言うしかない。凡人は彼の前にひれ伏すしかない。世の歴史家や考古学者先生は陳寿を愚弄して止まないけれども。

◎「荘子」第十七秋水篇に、次のような話がある。
  南方有鳥,其名為鵷鶵,子知之乎?
  夫鵷鶵,發於南海而飛於北海,非梧桐不止,非練實不食,非醴泉不飲。
  於是鴟得腐鼠,鵷鶵過之,仰而視之曰「嚇!」
  今子欲以子之梁國而嚇我邪?
陳寿は鵷鶵なのに違いない。腐鼠を喰らう鴟に鵷鶵の志など無縁の存在なのであろう。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1914

Trending Articles