○これまで、「三世紀の倭国」から「魏志倭人伝の主題」、「魏志倭人伝の裏主題」と続けて、三世紀に陳寿が編纂した「三国志(魏志倭人伝)」が案内する倭国や邪馬台国について、言及してきた。結果、三世紀当時の倭国三十国は、次のように案内されることを紹介した。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○また、倭国は百越の一国とするのが陳寿の考え方であることも紹介済みである。それに拠れば、越国の都、会稽から邪馬台国までの道程も次のように案内することが出来る。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島(50辧泡吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→坊津(56辧
○ついでに、帯方郡から邪馬台国までの道程も「三国志(魏志倭人伝)」に従って紹介しておく。
【帯方郡から邪馬台国への道のり】
・帯方郡→狗邪韓国 七千余里
・狗邪韓国→対馬国 千余里
・対馬国→壱岐国 千余里
・壱岐国→末廬国 千余里
・末廬国→伊都国 五百里
・伊都国→ 奴国 百里
・ 奴国→不弥国 百里
・不弥国→投馬国 千五百余里
・投馬国→邪馬台国 八百余里
・末廬国→邪馬台国 二千余里
○こういうことは、「三国志(魏志倭人伝)」を丁寧に読むことに拠って判ることである。ある意味、これ以外に倭国や邪馬台国を「三国志(魏志倭人伝)」から導き出すことは出来ない。何故なら、これが「三国志(魏志倭人伝)」の編者、陳寿の目論むところだからである。
○邪馬台国が北九州だとか畿内だとする説が世の中には氾濫している。しかし、陳寿に従って「三国志(魏志倭人伝)」を読む限り、北九州や畿内に邪馬台国が出現することはあり得ない。
○もともと邪馬台国も卑弥呼も「三国志(魏志倭人伝)」に出現する名称に過ぎない。それ以下でも以上でも無い。だから、「三国志(魏志倭人伝)」に拠らない邪馬台国とか卑弥呼は虚像とするしかない。そういうことがなかなか理解されない。
○邪馬台国や卑弥呼を知りたいと思うなら、先ずは、何より「三国志(魏志倭人伝)」を読むことだろう。もっとも、「三国志(魏志倭人伝)」はそう簡単に読むことの出来る書物ではない。誰もが自分には相応の読解力があると信じて止まない。「三国志(魏志倭人伝)」くらい簡単に読むことが出来ると自負して止まない。最初に、その過信を捨て去らない限り、「三国志(魏志倭人伝)」は読めない。
○何しろ、中国史が専門の史家、宮崎市定でさえ躊躇させたのが「三国志(魏志倭人伝)」なのである。あれ程中国の歴史文学に通暁している宮崎市定が「三国志(魏志倭人伝)」を問題にしなかった話は有名である。宮崎市定を超える理解力が無い限り、「三国志(魏志倭人伝)」は読めないのである。果たしてそういう人がどれ程居るだろうか。
○従って、普通の人には「三国志(魏志倭人伝)」は読めないと考えた方が賢明である。もともと「三国志(魏志倭人伝)」自体が普通の人を読者対象にしているわけでもない。「三国志(魏志倭人伝)」が読者対象としているのは、中国の専門の史家のみなのである。
○その中国の専門の史家でも、おそらく「三国志(魏志倭人伝)」は読めない。何故なら、中国の専門の史家には倭国の状況が認識出来ないからである。三世紀以降、倭国は恐ろしい程の変容を遂げている。邪馬台国に辿り着いたところで、そこには邪馬台国の欠片も存在しない。
○日本の最古の史書は「古事記」であり「日本書紀」である。その「古事記」「日本書紀」の成立は八世紀だから、三世紀は五百年前の話である。「古事記」「日本書紀」は日向神話として三世紀の話を書いている。そう言う意味で、「三国志(魏志倭人伝)」のことは「古事記」「日本書紀」では日向神話として確認される。
○ただ、注意すべきは出雲神話であろう。おそらく、私たちが目にする出雲神話は後節であって、出雲神話には前節が存在したはずである。「古事記」「日本書紀」は意図的にその前節を削っている。その削ったところに日向神話を被せている。更に「古事記」「日本書紀」は出雲神話を天上神話に作り替えている。もともと出雲神話は地上神話である。
○何とも面倒なことをしているのだが、「古事記」や「日本書紀」が伝える日向神話や出雲神話は、そのまま読むことは出来ない。そういう文献批判を行わない限り、日本の古代は見えて来ない。「三国志(魏志倭人伝)」を読むのも大変だが、「古事記」や「日本書紀」を読むのも、結構難しい。
●閑話休題、ここでの話の中心は邪馬台国と狗奴国の問題である。「三国志(魏志倭人伝)」に拠れば、邪馬台国と狗奴国とは戦闘状態にあったと言う。邪馬台国は二十九国の盟主であったにもかかわらず、狗奴国に苦戦している。
●ちょうど、それはギリシャのアテネ国とスパルタ国の関係に似ている。文化都市国家であった邪馬台国は軍事国家であった狗奴国に占拠され、滅ぼされた可能性が高い。
●多島海と言う点でも、邪馬台国とアテネは似ている。文化程度は高かったが軍事力はそれ程でも無かったのだろう。野蛮な国ほど、軍事力が強大であることは何時の時代でも同じである。
●寛政七年(1785年)刊行の白尾國柱著「麑藩名勝考」には、『救仁郷』とか『救仁院』の地名を載せている。それはまた、天保十四年(1843年)刊行の「三国名勝図会」や、明治4年(1871年)刊行の「薩隅日地理纂考」等が記録していることでもある。
●その『救仁郷』『救仁院』が存在したのが大隅半島であることに留意したい。つまり、邪馬台国が薩摩半島の薩摩国であったのに対し、狗奴国は大隅半島の大隅国であったことが判る。
●その狗奴国に神代三山陵が存在することの意義は大きい。「古事記」「日本書紀」が案内する神代三代はこの地に居住していたことを窺わせる。そして、そのことは、天皇家の故郷が狗奴国であることをも意味する。
◎「古事記」「日本書紀」が案内する日向神話とは、そういう意味なのだろう。本当は、日向神話に匹敵する出雲神話も語られなくてはならない。しかし、「古事記」「日本書紀」はそういう地上神話としての出雲神話を削除し、その後の出雲神話も天上神話に置き換えている。
◎それでも、削り切れない部分が出現することは確かである。邪馬台国を継承した大和地名は畿内に持ち込まれているし、その大和国を領知するのが出雲神であることは、そういうことを意味する。
◎倭国に女王卑弥呼が出現したのは、ある意味、当然の帰結だとも言えよう。もともと倭国は母系社会であった。家や国をも財産をも受け継ぐのは女性であった。そういう意味では「元始、女性は太陽であった」と言う平塚雷鳥の言葉は真実である。
◎出雲神の国が邪馬台国なのである。その出雲神の正体は神仏混淆の神であり佛である。そしてそれは現代でも全国に祀られている。「八雲立つ出雲神」が日本で最初に出現したのが邪馬台国なのである。正確には鹿児島県三島村硫黄島となる。
◎同じ神(佛)を中国本土でも見ることが出来る。それが浙江省舟山群島普陀山島である。「三国志(魏志倭人伝)」が倭国を百越の一つだとするのは、そういうことを意味する。
◎日向国を知らない限り、日向神話は語れない。同じように、日向国を知らない限り、出雲神話は語れない。加えて、日向国を知らない限り、「三国志(魏志倭人伝)」は読めない。まさに『百聞は一見に如かず』なのである。「三国志(魏志倭人伝)」が読みたいと思うなら、日向国を訪れてみることである。