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江頭の子島

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○前回、枕詞「とぶとりのあすか」が示す内実について書いた。奈良県高市郡明日香村大字飛鳥あたりから望む多武峯妙楽寺がその風景なのではないか。無論、飛鳥の名義はアショーカ王に由来するもので、仏舎利塔信仰に基づくものである。

○また、その原風景は南九州に存在するものである。現代で言えば、鹿児島県枕崎市付近から眺望する硫黄島だと言えよう。硫黄島は阿育王島なのである。ここからは、容易に仏教伝来の道が見えて来る。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島(50辧泡吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

○このことは、中国浙江省の会稽(現在は紹興市)を3回訪問し、寧波や舟山群島にも5回訪れ、確認していることである。また吐噶喇列島にはこれまで3回訪問しているし、硫黄島には6回訪れている。特に、寧波には阿育王寺が存在する。

○「論語」里仁篇第四に、『徳不孤、必有隣。』の言葉があるように、『文化も孤ならず、必ず隣有り』と言えるのではないか。枕詞「とぶとりのあすか」の風景の近くには、枕詞「えがしらのねじま」の風景がある。

●第一「子島」を『ねじま』と呼ぶこと自体が珍しい。奈良県高市郡明日香村の西隣が高取町で、高取町観覚寺に子嶋寺が存在する。ウィキペディアフリー百科事典が案内する子嶋寺は、次の通り。

      子嶋寺
   子嶋寺(こじまでら)は奈良県高市郡高取町にある高野山真言宗の寺院。山号は子嶋山(報恩山と
  も)。本尊は大日如来。開山は寺伝では僧・報恩と伝える。
   平安時代中期作の国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)を伝えることで知られる。「清水の舞台」で
  知られる京都東山の清水寺は子嶋寺の僧・延鎮によって開かれたとされ、平安時代中期以降は真言宗
  子嶋流の道場として栄えるなど、歴史的に重要な寺院である。
   なお、以前は大和七福神(三輪明神、大黒天(子嶋寺)、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍
  文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)のひとつであったが、 現在は、経営上の理由から、大黒
  天の朱印は子嶋寺から長谷寺に移管されている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E5%B6%8B%E5%AF%BA

●ウィキペディアフリー百科事典は、『子嶋寺(こじまでら)』と伝えるけれども、もともとは『ねじま』であったものが変容したものと思われる。ただ、幸いに、「子嶋寺」の表記を残してくれているので、それが『ねじま』であったことが復元出来る。

●子嶋寺の南には高取山が聳え、中腹に壺阪山南法華寺が存在する。通称壺阪寺は西国三十三所第六番札所として知られる寺である。

      南法華寺
   南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院。山号は壺阪山。
  一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。703年(大宝3年)創建と伝え、西国三十三所第
  六番札所。
   本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊
  験記』の舞台としても有名。園内には養護盲老人ホーム慈母園がある。
   先代住職のインドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として贈られた「天竺渡来大観音像」は、
  大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大なもの。その他、インド渡来のものとしては、石像
  大仏伝図、天竺渡来大石堂がある。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA

●寺の様子から見て、もともと子嶋寺と南法華寺は山上山下の寺であって、同じ寺では無かったかとも思われる。現在では別寺として存在しているけれども。そのことは、京都の清水寺が子嶋寺二世延鎮に拠って開山されていることからも推測される。

○『子島(ねじま)』の名は珍しい。白尾國柱の「麑藩名勝考」には、吐噶喇列島宝島の属島として「子島」の名を挙げている。具体的には、吐噶喇列島宝島の南西の海上、約50卆茲防發ぶ上ノ根島・横当島である。

○ここが何故『子島(ねじま)』であるかを理解することも難しい。おそらく干支の冒頭が「子」であることから来ているのではないか。つまり、多くの島々が並んでいて、その最初の島が子島と言う意味である。それは子島が吐噶喇列島の最南端の島であることからも理解される。

○また、九州には『江頭(えがしら)』と言う珍妙な地名人名が存在する。字義からは「川のほとり」くらいの意味かと思っていたが、最近、『江頭(えがしら)』は枕詞ではないかと思うようになった。『江頭(えがしら)の子島(ねじま)』であれば、枕詞としては完璧なのである。これほど気の利いた表現は無い。

○遣唐使船の南島路がどういうものであったか。遣唐使船の南島路が存在したことは理解していても、それが具体的にどういう航路であったかは、皆目不明とされる。

○実際、坊津から硫黄島を経て、吐噶喇列島を南下すれば宝島まで達する。その宝島から真っ直ぐ東進すれば、中国舟山群島へ到着する。

○その中国舟山群島普陀山が中国四大仏教名山(五台山・九華山・峨眉山・普陀山)の一つで、観音菩薩を祀る聖山となっている。

○中国から海を渡って、最初に目にする日本の土地が子島なのである。そこから50卷名紊垢譴佇腓愿紊垢襦子島は絶海の孤島である。十島村村営フェリー「としま」から洋上に浮かぶ子島を望見したことがある。何とも凄まじい海の風景であった。

◎枕詞「とぶとりのあすか」が硫黄島であれば、その南に、枕詞「江頭(えがしら)の子島(ねじま)」が存在することは、当たり前のことである。奈良県高市郡明日香村に飛鳥が存在し、その南の高取町に子島が存在することは決して偶然では無い。

◎文化とは「耕す」ことであると言う。せっせと枕詞を耕していると、日本への仏教伝来の道が見えて来る。『文化不孤、必有隣有。』と言うことを理解する。

◎子嶋寺や壺阪寺は以前から気にはなっているが、まだ参詣を済ませていない。

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