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白尾國柱著「麑藩名勝考」

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○白尾國柱著「麑藩名勝考」と言う名著がある。寛政7年(1795年)刊行の書物である。鹿児島を研究しようと思ったら、まず白尾國柱の「麑藩名勝考」を読むことをお勧めしたい。白尾國柱の文章は何とも格好良い名文だし、また何より含蓄ある表現力に驚く。これが33歳の若者の書いた文だとは信じられない。

○「麑藩名勝考」に学んだことは多い。「麑藩名勝考」冒頭は、次のように始まる。
      【薩摩國】
   薩摩者幸島也。取諸天孫紀所謂山幸・海幸之義。萬葉集有薩男・薩人・薩弓・薩矢等之称。
  皆就兵或猟而言。此乃出自山幸・海幸之證矣。冠辞考曰、薩男・佐豆人なども左知男・左知人と言ふ
  べきを、知と豆と音通へば、後に左通男・左都人と言ふ。摩者島之略、往昔は日向より薩摩かけての
  地を島門と言ひしも、幸島之門の省ける歟と思はる。島とは、此の方にては、周廻に界限のありて、
  一區なる域を言ふ名なり。本は必ず海のみならず、國中にて山川などの環れる地にも言へり、と國號
  考に見えたり。

○この冒頭文「薩摩者幸島也。」にしたところで、白尾國柱の慧眼を端的に表現している。間違いなく「薩摩」は「幸島」であり、「舎衞島」であり、「諸菩薩摩訶薩」なのであろう。詳しくは以下を参照されたい。
  ・書庫「邪馬台国三山」:ブログ『薩摩国と日向国』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39429651.html
  ・書庫「邪馬台国三山」:ブログ『吐火羅國と舎衞國』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39434135.html

○また、白尾國柱の「麑藩名勝考」がメインテーマとしているのが神代三山陵の研究であることも忘れてはなるまい。白尾國柱の神代三山陵の研究を引き継いだのが本ブログの「神代三山陵の研究」となっている。
  ・書庫「神代三山陵の研究」:16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/144322.html?m=l&p=1

○結果、天皇家の故郷は狗奴国であったことが判る。狗奴国については、以前、以下のブログでまとめている。
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:44個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1203721.html?m=l&p=1

○大和国には大和三山が存在すると同時に神代三山陵の先坣僑位も存在する。そのことに気付かせてくれたのも、白尾國柱の「麑藩名勝考」だと言うしかない。神代三山陵の先坣僑位については、これまで何度も書いている。
  ・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36153537.html
  ・書庫「天孫降臨の世界山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37562773.html
  ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38510185.html

◎白尾國柱が何の為に「麑藩名勝考」をものしたかと言うと、それは神代三山陵の研究の為だとご本人がおっしゃっている。だから、「麑藩名勝考」を愛読し、白尾國柱の神代三山陵の研究を引く継ぐことが「麑藩名勝考」を読んだ者の責務であろう。

◎そう言う意味では、本ブログが真実の神代三山陵を突き止め、神代三山陵の先坣僑位にまで言及出来たことは、少しは「麑藩名勝考」の読者たる資格を得たのではないか。

◎まだまだ白尾國柱の「麑藩名勝考」に教わることは多い。それ程「麑藩名勝考」が名著だと言うことなのだろう。時間を見付けて、丁寧に「麑藩名勝考」を読むことを心掛けたい。

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