○岳陽楼について、范仲淹の「岳陽楼記」、劉長卿の「岳陽樓」と続けているが、今回は楊基の「岳陽樓」を案内したい。何しろ、中国の検索エンジン百度の百度百科の「岳陽楼」項目で、劉長卿の「岳陽樓」とともに紹介されているほどの作品である。
○ただ、中国の検索エンジン百度の百度百科の「劉長卿」項目が載せる劉長卿の主要作品としては、
^雪宿芙蓉山主人 ⊃掲作 饯别王十一南游 そ日登吴公台上寺远眺
チ灵上人 寻南溪常山道人隐居 Я羮归汉阳别业 送上人
重送裴郎中贬吉州 长沙过贾谊宅 送李判官之润州行营 余干施舍
が掲載されていて、この中に劉長卿の「岳陽樓」はない。
○ウィキペディアフリー百科事典には「楊基」の項目すらない。中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「楊基」は、次の通り。
杨基
【人物简介】
杨基(1326~1378)元末明初诗人。字孟载,号眉庵。原籍嘉州(今四川乐山),大父仕江左,遂家
吴中(今浙江湖州),“吴中四杰”之一。元末,曾入张士诚幕府,为丞相府记室,后辞去。明初为荥
阳知县,累官至山西按察使,后被谗夺官,罚服劳役。死于工所。
杨基诗风清俊纤巧,其中五言律诗《岳阳楼》境界开阔,时人称杨基为“五言射雕手”。少时曾著
《论鉴》十万余言。又于杨维桢席上赋《铁笛》诗,当时维桢已成名流,对杨基倍加称赏:“吾意诗境
荒矣,今当让子一头地。”杨基与高启、张羽、徐贲为诗友,时人称为“吴中四杰”。
【文学创作】
杨基以诗著称,亦兼工书画,尤善绘山水竹石。其元末诗作,大多表现维护元代统治立场,入明后,
仍眷怀元室。风格异于高启,多不能摆脱元诗靡丽纤细风习,他的无题、香奁诸体尤甚。王世贞批评它
颇伤“风雅”(《艺苑卮言》)。他的写景咏物之作尚有佳品。如《天平山中》:“细雨茸茸湿楝花,
南风树树熟枇杷;徐行不记山深浅,一路莺啼送到家。”观察入微,描绘如画,诗人一路沉醉于花香鸟
语之中的悠然自得心情跃然纸上。其他如《春草》、《春暮西园杂兴》等诗,亦细腻自然,情景交融。
其中名句如“六朝旧恨斜阳里,南浦新愁细雨中”,“一树杨花三日雨,池塘春水绿萍多”等,向为人
所称颂。五律《岳阳楼》境界开阔,起结尤入神境。时人以此称杨基为“五言射雕手”。古风《挂剑
台》写吴季子讲求信义的坦荡胸怀,形象鲜明,风格苍劲,语言俊爽峭拔,不同于他的其他近体诗风,
另开一新境界。
著作有《眉庵集》12卷,补遗 1卷。按古体、歌行、律诗、绝句、长短句及词曲分卷排列。明成化重
刻时,江朝宗为之作序。
この後に「作品选摘」が案内されているが、その冒頭に紹介されるのが『岳陽樓』となっている。詳しくは、以下を参照されたい。
http://baike.baidu.com/view/80561.htm
○その楊基の「岳陽樓」詩を案内したい。原文と書き下し文と私訳は、次の通り。
【原文】
岳陽樓 楊基
春色醉巴陵
闌干落洞庭
水吞三楚白
山接九疑青
空闊魚龍氣
嬋娟帝子靈
何人夜吹笛
風急雨冥冥
【書き下し文】
岳陽樓
春色、巴陵に醉ひて、
闌干より洞庭に落つ。
水は吞む、三楚の白、
山は接す、九疑の青。
空は闊くして、魚龍の氣あり、
嬋は娟にして、帝子の靈なり。
何人ぞ、夜に笛を吹くは、
風急にして、雨は冥冥たり。
【我が儘勝手な私訳】
岳陽樓
春爛漫の陽気の中、岳陽楼から洞庭湖を眺めながら酒盛りをした。
岳陽樓のすぐ目の前は洞庭湖で、広大な景色を望むことができる。
北に遠望される長江は西楚から、この南楚を過ぎ、東楚の三楚を流れ、
湖水に浮かぶ君山は遙か南の舜帝陵の存在する九嶷山から続いている。
空は青々と何処までも続き、何処となく魚が龍に化ける気配が窺え、
女性は美しく、まるで舜帝の二妃、娥皇や女英が居るかのようである。
誰であろうか、夜に笛を吹いている人は。
突然風が吹き始め、大降りの雨までが降り出したではないか。
○岳陽楼は、岳陽の町の西門である。西門と言っても、その先には洞庭湖が広がっているから、道があるわけではない。岳陽楼付近は高台であって、洞庭湖が一望のもとに見渡すことができる。その対岸に当たるところが君山で、ここには舜帝の二妃、娥皇や女英伝説が残されている。
○北には、長江が滔々と流れているのを見ることができる。南からは湘江が洞庭湖へと流れ注ぐ。つまり、岳陽楼の前で、湘江が長江に合流することになる。その湘江の上流に舜帝陵とされる九嶷山が存在する。
○楊基の「岳陽樓」詩は、そういう岳陽楼の時間空間を余すところなく描いている。やはり、岳陽楼には夕陽がよく似合う。岳陽楼界隈は仙人の闊歩するところでもある。そういう意味では、『魚龍氣』は、「黃帝騎龍昇天」が相応しいのかも知れない。