賈誼:弔屈原賦
○屈原が汨羅江に身を投じたのは、紀元前278年5月5日だとされる。今から2291年前の出来事である。先日、2013年6月11日(旧暦5月4日)に、汨羅市屈子祠鎮に存在する屈子祠に詣でて来た。 ○「史記」の著者、司馬遷も長沙を訪れたことを、『屈原賈生列傳第二十四』の最後、『太史公曰』に、 太史公曰:餘讀離騷、天問、招魂、哀郢,悲其志。適長沙,觀屈原所自沈淵, 未嘗不垂涕,想見其為人。...
View Article和諧号:汨羅から岳陽へ
○汨羅の屈子祠から汨羅東站へ帰って来たのは午後5時頃であった。この日、宿泊するのは岳陽である。だから、汨羅から岳陽まで、再び中国新幹線の和諧号に乗ることになる。 ○長沙から汨羅までは77辧一等60元(日本円:900円)であったが、汨羅から岳陽までは70辧一等54元(日本円:810円)であった。とにかく、中国の新幹線は安いのに驚く。時間はどちらも20分ほどである。...
View Article岳陽楼
○岳陽楼と言えば、日本人なら、誰でも杜甫の「登岳陽楼」を思い出すのではないか。 登岳陽楼 杜甫 昔聞洞庭水 昔聞く 洞庭の水 今上岳陽樓 今上る 岳陽楼 呉楚東南坼 呉楚 東南に坼け 乾坤日夜浮 乾坤 日夜浮かぶ 親朋無一字 親朋 一字無く 老病有孤舟 老病 孤舟有り 戎馬關山北...
View Article范仲淹:岳陽楼記
○岳陽楼は、著名な名勝であるが、中国と日本とでは認識の仕方に相当の差違がある。江南の三大名楼とする点では一致するけれども、文学での認識の仕方にその違いがある。 ○日本では、岳陽楼と言えば、圧倒的に杜甫の「登岳陽楼」が有名である。ウィキペディアフリー百科事典にしたところで、紹介しているのは杜甫の「登岳陽楼」だし、何より、高校の教科書で学んでいるから誰もが知っている。...
View Article劉長卿:岳陽樓
○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「岳陽楼」の項目で案内する詩作は、劉長卿「岳陽樓」と楊基「岳陽樓」の二つである。前回案内した范仲淹「岳陽楼記」とともに、中国では知られた作品なのであろう。 ○今回は、その劉長卿の「岳陽樓」を紹介したい。ウィキペディアフリー百科事典が載せる劉長卿は、あまりに寂しい。 劉長卿 劉長卿(りゅう...
View Article楊基:岳陽樓
○岳陽楼について、范仲淹の「岳陽楼記」、劉長卿の「岳陽樓」と続けているが、今回は楊基の「岳陽樓」を案内したい。何しろ、中国の検索エンジン百度の百度百科の「岳陽楼」項目で、劉長卿の「岳陽樓」とともに紹介されているほどの作品である。 ○ただ、中国の検索エンジン百度の百度百科の「劉長卿」項目が載せる劉長卿の主要作品としては、 ^雪宿芙蓉山主人 ⊃掲作 饯别王十一南游 そ日登吴公台上寺远眺...
View Article杜甫:登岳陽楼
○岳陽楼に関する文学作品は多い。「岳陽楼」と題する詩として、中国の検索エンジン百度の百度百科は劉長卿の「岳陽樓」と楊基の「岳陽樓」を案内している。同じように、中国の検索エンジン百度の百度百科は、「登岳陽楼」と題して、杜甫の五言律詩と、陳与義の七言律詩、蕭藻の五言律詩を紹介する。...
View Article陳与義:登岳陽楼
○中国の検索エンジン百度の百度百科の「登岳陽楼」の項目には、 1.杜甫五言律诗 2.陈与义七言律诗 3.萧藻五言律诗 を案内する。前回、杜甫の五言律詩「登岳陽楼」を紹介したので、今回は陳与義:七言律詩「登岳陽楼」を紹介したい。 ○ウィキペディアフリー百科事典が載せる陳与義は、次の通り。 陳与義 陳与義(ちん よぎ、1091年 -...
View Article蕭藻:登岳陽樓
○中国の検索エンジン百度の百度百科は、「登岳陽楼」と題して、杜甫の五言律詩と、陳与義の七言律詩、蕭藻の五言律詩を紹介する。ここまで、杜甫の五言律詩と陳与義の七言律詩を案内してきたので、今回は蕭藻の五言律詩を紹介したい。 ○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる蕭藻は、次の通り。 萧藻 【简介】...
View Article李白:與夏十二登岳陽樓
○范仲淹の「岳陽楼記」から始めて、劉長卿「岳陽樓」、楊基「岳陽樓」、杜甫「登岳陽楼」、陳与義「登岳陽楼」、蕭藻「登岳陽樓」と、岳陽楼を詠じた詩の案内を続けている。...
View Article李白:荊州賊亂臨洞庭言懷作
○李白が岳陽楼で詠じたのは、「與夏十二登岳陽樓」だけではない。李白には「荊州賊亂臨洞庭言懷作」と言う二十句からなる堂々たる詩がある。 【原文】 荊州賊亂臨洞庭言懷作 李白 修蛇洞庭 吞象臨江島 積骨成巴陵 遺言聞楚老 水窮三苗國 地窄三湘道 歲晏天崢 時危人枯槁 思歸阻喪亂 去國傷懷抱 郢路方丘墟 章華亦傾倒...
View Article李白:陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭
○「與夏十二登岳陽樓」、「荊州賊亂臨洞庭言懷作」と、李白の岳陽楼での詩を紹介しているが、今回は「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭」詩を案内したい。 ○李白作「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭」詩には5編がある。長くなるので、原文と書き下し文を案内することしかできない。。 【原文】 陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭 李白 【其一】 洞庭西望楚江分...
View Article孟浩然:望洞庭湖贈張丞相
○岳陽楼に関する李白の詩を、「與夏十二登岳陽樓」「荊州賊亂臨洞庭言懷作」「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭」と続けて来たが、今回は、孟浩然の「望洞庭湖贈張丞相」を案内したい。 ○いまさら、孟浩然を紹介する必要も無い気もするけれども、一応、中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「孟浩然」項目の冒頭部分だけを紹介したい。 孟浩然[mèng hào rán] 【百科名片】...
View Article劉禹錫:望洞庭湖
○長江は基本的に西から東へ流れている。その長江が南下して君山へぶつかり、再び西へ向きを変えたところに岳陽の町が存在する。 ○洞庭湖は、東洞庭湖と、横岭湖とも呼ばれる西洞庭湖の二つの湖の総称である。増水したら、一つとなるから洞庭湖と総称されたのであろう。日本最大の湖琵琶湖が面積670.25平方千米であるのに対し、洞庭湖は面積2,820平方千米と言うのだから、兎に角、桁違いに大きな湖である。...
View Article雍國鈞:題君山
○君山は岳陽楼の対岸、洞庭湖の西の彼方に存在する山である。中国の検索エンジン百度の百度百科には、 君山[jūn shān] 【简介】 君山风景图片(20张)君山,古称洞庭山、湘山、有缘山,是八百里洞庭湖中的一个小岛,与千古名楼 岳阳楼遥遥相对,总面积0.96平方公里,由大小七十二座山峰组成,被“道书”列为天下第十一福地,...
View Article屈原:湘君・湘夫人
○岳陽楼の対岸に浮かぶ君山の話をするのに、楚辞「湘君」「湘夫人」を避けて通ることはできない。元々、「君山」の名自体が、湘君の居住する山の意である。 ○楚辞「湘君」「湘夫人」は、『九歌』の中に収められている。『九歌』は、十一篇の祭祀歌の総称である。その第三が「湘君」で、第四が「湘夫人」である。...
View Article陳与義:巴丘書事
○陳与義の詩については、「登岳陽楼」詩二篇をすでに紹介済みである。 ・書庫「岳陽・武昌」:ブログ『陳与義:登岳陽楼』 http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38081649.html...
View Article姜夔:昔游诗 其一
○姜夔は、ほとんど日本では馴染みの無い詩人である。ウィキペディアフリー百科事典にしたところで、姜夔の項目すら無い。Yahoo!百科事典に、次のようにある。 姜夔(きょうき)(1155?―1221?) 中国、南宋(なんそう)の文人、詞人。字(あざな)は堯章(ぎょうしょう)。号は白石道人。鄱 陽(はよう)(江西省)の人。詩文、書画、音楽など広く文学・芸術に通じ、官位をもたないまま、...
View Article姜夔:昔游詩 其二
○前回、姜夔の「昔游诗 其一」詩を紹介した。 姜夔の「昔游诗 其一」詩は、美しい洞庭湖の景色の一コマを見せてくれた。しかし、洞庭湖は自然の湖であるから、単に美しいだけではない。反面、厳しい自然の顔も存在する。姜夔の「昔游詩 其二」詩には、そういう洞庭湖の厳しい光景を見事に表現していると言えよう。 【原文】 昔游詩:其二 姜夔 放舟龍陽縣 洞庭包五河...
View Article崔珏:岳陽樓晩望
○今回案内するのは、崔珏の「岳陽樓晩望」詩である。崔珏も、日本では、ほとんど馴染みのない詩人である。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する「崔珏」項目も、それほど、詳しいものではない。 崔珏 【百科名片】 崔珏(音jue决),字梦之,唐朝人。尝寄家荆州,登大中进士第,由幕府拜秘书郎,为淇县令, 有惠政,官至侍御。 【作品风格】...
View Article