○李白が岳陽楼で詠じたのは、「與夏十二登岳陽樓」だけではない。李白には「荊州賊亂臨洞庭言懷作」と言う二十句からなる堂々たる詩がある。
【原文】
荊州賊亂臨洞庭言懷作 李白
修蛇洞庭 吞象臨江島
積骨成巴陵 遺言聞楚老
水窮三苗國 地窄三湘道
歲晏天崢 時危人枯槁
思歸阻喪亂 去國傷懷抱
郢路方丘墟 章華亦傾倒
風悲猿嘯苦 木落鴻飛早
日隱西赤沙 月明東城草
關河望已絕 氛霧行當掃
長叫天可聞 吾將問蒼昊
【書き下し文】
荊州賊亂に、洞庭に臨んで懷ひを言ぶる作 李白
修蛇は洞庭にはり、
吞象して江島に臨む。
積骨して巴陵は成る、
遺言を楚老に聞く。
水は窮まる、三苗の國、
地は窄たる、三湘の道。
歲の晏きに、天は崢たり、
時の危きに、人は枯槁たり。
歸を思ふに、喪亂の阻み、
國を去りに、懷抱の傷たり。
郢路は、方に丘墟たり、
章華は、亦た傾倒たり。
風は悲しむ、猿嘯の苦しみを、
木は落とす、鴻飛の早さに。
日は隱る、赤沙の西に、
月は明る、城草の東に。
關河は、望むに已に絕たり、
氛霧は、行きて當に掃くべし。
長叫するを、天の聞くべし、
吾は將に蒼昊を問はんとす。
【我が儘勝手な私訳】
荊州賊亂に、洞庭に臨んで懷ひを言ぶる作 李白
昔々、洞庭湖には大蛇が棲んでいて、湖辺の多くの巨象を喰らって生きていた。
飲み込んだ三年後に大蛇から象の骨が出て来て積み重なり、巴陵が出来上がった。
そういう途方も無い神話を、楚国の老人から、岳陽楼で聞くことである。
洞庭湖を中心に三苗の國が生まれ、洞庭湖を中心に三湘の道は広がっている。
平和な世であれば、天は高爽空曠だし、争乱の世であれば、人は憔悴する。
故郷に帰りたいと思うのだが、戦乱の為に適わず、
故郷を離れて、望郷の念が頻りに湧き起こる。
郢都への道は、あちこち寸断され、
章華城は、すでに倒壊していると言う。
風は猿の鳴き声のように、悲しく聞こえ、
木々は鴻の早く飛ぶかのように、葉を落としている。
太陽は洞庭湖の対岸の赤沙山の西に沈み、
太陰は岳陽城の城草の東から昇って来る。
遠望すると、關河はもう賊亂に拠って完全に途絶えたままで、
賊亂が各地に蔓延り、私はここ岳陽楼で立ち往生するしかない。
天は私が絶叫するのを、当然聞かなくてはならない。
私は今将に、本当に天に正義はあるのかと問わずには居られない。
○李白はこの詩の冒頭で、岳陽楼の存在する巴陵の壮大な創世記から説き起こす。人は時代とともに存在する。世の中が平和であれば、『天は崢たり』と言うけれども、李白の生きた時代は争乱の世の中であるから、『人は枯槁たり』であるしかない。
○人世は騒然としているけれども、岳陽楼から望む洞庭湖の雄大な景色は、何一つ変わることなく、太陽は西に沈み、太陰は東から登ってくる。そういう美しい風景の中で、思わず、
・長叫するを、天の聞くべし、
・吾は將に蒼昊を問はんとす。
と絶叫し、天命の有無を問わざるを得ない李白の心境が、この詩には申し分なく表出されている。
○李白には、荘子が説く、
・道者萬物之所由也(道は萬物の由る所なり。)
と言うことがよく理解されている。それでも天命を問わずにはいられない道士李白の心境がここではよく理解される。