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李白:與夏十二登岳陽樓

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○范仲淹の「岳陽楼記」から始めて、劉長卿「岳陽樓」、楊基「岳陽樓」、杜甫「登岳陽楼」、陳与義「登岳陽楼」、蕭藻「登岳陽樓」と、岳陽楼を詠じた詩の案内を続けている。

○今回は、李白の「與夏十二登岳陽樓」を紹介したい。岳陽楼を詠じた詩としては、何と言っても杜甫「登岳陽楼」が著名であるが、決して李白「與夏十二登岳陽樓」も遜色ない。これは私だけの思いではないようで、中国の検索エンジン百度で検索して、ヒットした「中华诗词论坛」のHPにも、
   岳阳楼位于洞庭湖南岸岳阳市境,与武昌黄鹤楼、南昌滕王阁并称“江南三大名楼”。古贤登临吟咏
  之作颇多,其中以杜少陵《登岳阳楼》一律最为有名:
    昔闻洞庭水,今上岳阳楼。
    吴楚东南坼,乾坤日夜浮。
    亲朋无一字,老病有孤舟。
    戎马关山北,凭轩涕泗流。
   此为诗人暮年流寓湖南时所作,身世之悲,家国之痛,尽寓于登楼一啸之中。被后人誉为“五言绝唱”。
   太白流放夜郎途中遇赦,自江陵还至岳阳时亦有《与夏十二登岳阳楼》之作:
    楼观岳阳尽,川迥洞庭开。
    雁引愁心去,山衔好月来。
    云间连下榻,天上接行杯。
    醉后东风起,吹人舞袖回。
   李诗明快清新,轻灵飘逸,与杜诗之抑郁沉雄大异其趣。盖其时公初脱樊笼,“千里江陵一日还”,
  心中正自高兴,遇此大好湖山,焉能不吐快语?
   读二公登楼之作,一感极而悲,一其喜洋洋。悲者大我,喜者小我,就其思想意义而言,是太白不若
  少陵,而心理之自我调节,则少陵远逊太白矣。二公者,皆以“狂”自命,一曰“我本楚狂人”,一曰
  “自笑狂夫老更狂”,然就此二诗判之,太白是真狂,少陵只是佯狂耳。
と載せていることからも理解されよう。李白は『真狂』であり、杜甫は『佯狂』だとしている。

○李白「與夏十二登岳陽樓」の、原文と、書き下し文、私訳は、次の通り。

  【原文】
    與夏十二登岳陽樓
       李白
    樓觀岳陽盡,
    川迥洞庭開。
    雁引愁心去,
    山銜好月來。
    雲間連下榻,
    天上接行杯。
    醉後涼風起,
    吹人舞袖回。

  【書き下し文】
    夏十二と岳陽樓に登る
       李白
    樓觀は岳陽に盡く、
    川迥に洞庭は開く。
    雁引、愁心は去り、
    山銜、好月の來る。
    雲間、下榻を連ね、
    天上、行杯を接す。
    醉うた後に、涼風の起こり、
    吹く人は、袖を回して舞ふ。

  【我が儘勝手な私訳】
    何と言っても樓觀は岳陽楼が一番である。
    目の前には遙かに洞庭湖が広がっている。
    空から雁の鳴き声が聞こえると、今までの憂愁の気分も消え、
    山の間からは、美しい月も出て来るではないか。
    雲の上のような岳陽楼に滞在し、
    岳陽楼で、知友夏十二と酒を酌み交わす。
    酒を飲んでいると、洞庭湖から涼しい風が吹いて来て、
    笛を吹いている人の、着物の袖をはたはたと叩くことである。

○杜甫が岳陽楼を、
  昔聞洞庭湖
  今上岳陽楼
と時制を中心に淡々と詠じているのに対し、李白は、
  樓觀岳陽盡
  川迥洞庭開
と見事に看破する。これだけで、両者の違いがはっきりする。おそらくその差が、
  ・然就此二诗判之,太白是真狂,少陵只是佯狂耳。
なのであろう。

○それが、
  呉楚東南圻
  乾坤日夜浮
と、
  雁引愁心去
  山銜好月來
との違いになると、これはもうどうしようもない差だと言うしかない。李白が巧まず詩を楽しんでいるのに対し、杜甫は悪戦苦闘、奮闘努力している。それは詩と詩でないものとの差と言うしかない。詩は、本来、作るものではなく、自然と湧き出て来るものなのである。

○この後のことは言うまでもなかろう。それほど詩仙李白と詩聖杜甫との差は大きい。おそらく、それは仙人と人間の差なのであろう。人間世界で、なかなかそういうことが理解されないのが寂しい。ひょっとしたら、現代の人間様は、仙人より人間様の方が偉いと勘違いしているのかも知れない。

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