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崔珏:岳陽樓晩望

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○今回案内するのは、崔珏の「岳陽樓晩望」詩である。崔珏も、日本では、ほとんど馴染みのない詩人である。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する「崔珏」項目も、それほど、詳しいものではない。

      崔珏
  【百科名片】
   崔珏(音jue决),字梦之,唐朝人。尝寄家荆州,登大中进士第,由幕府拜秘书郎,为淇县令,
  有惠政,官至侍御。
  【作品风格】
   其诗语言如鸾羽凤尾,华美异常;笔意酣畅,仿佛行云流水,无丝毫牵强佶屈之弊;修辞手法丰富,
  以比喻为最多,用得似初写黄庭、恰到好处。诗作构思奇巧,想象丰富,文采飞扬。例如《有赠》一诗
  写美人的倾国之貌,“烟分顶上三层绿,剑截眸中一寸光”、“两脸夭桃从镜发,一眸春水照人寒”等
  句,其设喻之奇、对仗之工、用语之美,真令人叹为观止、为之绝倒,梦之真可谓是镂月裁云之天工
  也。诗一卷(全唐诗中卷第五百九十一),所录尽是佳作。

○崔珏の「岳陽樓晩望」詩の、原文と書き下し文、私訳は、次の通り。

  【原文】
      岳陽樓晩望  崔玨
    乾坤千里水雲間
    釣艇如萍去復還
    樓上北風斜卷席
    湖中西日倒銜山
    懷沙有恨騷人往
    鼓瑟無聲帝子
    何事黃昏尚凝睇
    數行煙樹接荊蠻

  【書き下し文】
      岳陽樓晩望  崔玨
    乾坤は千里、水雲の間、
    釣艇は萍の如く、去りて復た還る。
    樓上の北風は斜めに卷席し、
    湖中の西日は銜山に倒く。
    懷沙に恨み有り、騷人の往き、
    瑟を鼓する聲無きに、帝子のく。
    何事ならん、黃昏に尚ほ睇を凝らし、
    數行の煙樹、荊蠻に接するは。

  【我が儘勝手な私訳】
    岳陽樓から望むと、天と地とが、空と洞庭湖の間に何処までも続いていて、
    その洞庭湖には、釣舟がまるで浮き草のように、行きつ戻りつしている。
    更に岳陽樓の上に登ると、北風が下から強く吹き上げて来て、
    洞庭湖上、高くに存在していた西日が次第に銜山へと傾いて行く。
    嘗て屈原が楚辞「懷沙」を書き、汨羅に身を投げたのもここであり、
    今は湘水の神が瑟を鼓する音もしないから、帝舜がそれを聞くことも無い。
    黃昏時に、目を細めて沈む太陽をじっと眺めると、
    彼方の楚国の対岸に、数本の樹木がシルエットとなって浮かび上がって来る。

○中国の検索エンジン百度の百度百科は、崔玨詩について、
  ・其詩語言如鸞羽鳳尾,華美異常;筆意酣暢,仿佛行雲流水,無絲毫牽強佶屈之弊。
  ・修辭手法豐富,以比喻為最多,用得似初寫黃庭、恰到好處。
  ・詩作構思奇巧,想象豐富,文采飛揚。
と評価している。あまり高い評価ではないことが気になる。

○おそらく、そのことは、崔玨詩が伝統的玄言詩の影響を強く受けていることに起因しているのではないか。唐詩盛行の時代には、こう言った表現自体がまるで評価されない。

○ただ、崔玨には、独自の美意識が存在するのであって、読者は一切、こういう評価を気にする必要は無い。それより、崔玨が目指した世界がどういうものであったかを評価すべきであろう。

○私自身は、崔珏をよく知るわけではない。しかし、崔珏の「岳陽樓晩望」詩を読む限り、崔珏が奮闘努力して作詩していることを高く評価したい。崔珏の時代遅れの表現感覚が好ましいものとして感じられてならない。

○岳陽樓界隈は、神鬼が普段に出没するところであって、尋常の地ではないのである。岳陽だって、本来、巴陵であるし、洞庭湖だって、龍が舞い上がり、黿鼉が棲むところでもある。そういう雰囲気に崔珏の「岳陽樓晩望」詩は、実によく似合っている。

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