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姜夔:昔游詩 其二

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○前回、姜夔の「昔游诗 其一」詩を紹介した。 姜夔の「昔游诗 其一」詩は、美しい洞庭湖の景色の一コマを見せてくれた。しかし、洞庭湖は自然の湖であるから、単に美しいだけではない。反面、厳しい自然の顔も存在する。姜夔の「昔游詩 其二」詩には、そういう洞庭湖の厳しい光景を見事に表現していると言えよう。

  【原文】
      昔游詩:其二  姜夔
    放舟龍陽縣
    洞庭包五河
    洶洶不得道
    茫茫將奈何
    稿師請小泊
    石碇沉泥沙
    是中太無岸
    強指葦與莎
    滯留三四晨
    大浪山嵯峨
    同舟總下淚
    自謂喂黿鼉
    白水日以長
    僅存青草芽
    轉盼又已沒
    但見千頃波
    此時羨白鳥
    飛入青山阿

  【書き下し文】
      昔游詩:其二  姜夔
    舟を放つ、龍陽縣、
    洞庭、五河を包む。
    洶洶として、道を得ずして、
    茫茫として、將に奈何せんとす。
    稿を師して、小泊を請ひ、
    石を碇して、泥沙に沉す。
    是の中に太、岸無く、
    強ひて指す、葦と莎とに。
    滯留すること、三四晨、
    大浪、山の嵯峨たり、
    同舟、總べて淚を下す。
    自ら謂ふ、黿鼉の喂ふと、
    白水は日に以て長く、
    僅かに存す、青草の芽。
    轉盼すれば、又、已に沒し、
    但だ見る、千頃の波。
    此の時、白鳥を羨やむ、
    飛び入る、青山の阿。

  【我が儘勝手な私訳】
    洞庭湖の上流、沅江の畔、龍陽縣から舟を出し、洞庭湖へ向かう。
    洞庭湖は五つの大河を注ぎ込んでできている大湖である。
    波が洶洶と音を立てて舟を襲い、何処を走っているかさえ判らない。
    洞庭湖は茫茫と広がっていて、まさにどうすることもできない。
    どうにかして、葦原の中に、舟を停め、
    石を碇にして、泥の中に入れて、舟を停めようとする。
    葦原は茫々として広く、何処が岸かも判らないが、
    それでも、どうにかやっと、葦原の砂地に舟を停めることができた。
    そこに留まること、三日と四朝、
    大波が山のように高くなって舟を襲って来るではないか。
    舟の同僚たちは、恐ろしさのあまりに、皆涙を流し、
    私たちは大亀の餌食となってしまうと嘆く。
    一日千秋の如く、一日が長く、
    その間、ただ、眼前の葦の青い若芽に僅かな希望を見出すしかない。
    目を転じると、再び日が既に暮れようとしている中に、
    ただ、茫洋と波立つ洞庭湖が何処までも広がっているのを見る。
    この時、空を飛んで行く白鳥が何とも羨ましい、
    白鳥は彼方の青い山へと飛んで入って行った。

○姜夔の「昔游诗 其一」詩は十四句もあって、随分長いものであったが、「昔游詩 其二」詩は十八句もあり、更に長い。それでも、姜夔の詩は、平易、且つ素直であるから、容易に読めるし、何より読んで楽しい。姜夔の詩には、展開する楽しさがある。

○そういう意味では、姜夔の詩は物語詩だと言えよう。そして、それはおそらく、屈原の楚辞の影響が大きい。ただ、姜夔は屈原みたいに深刻にならない。あくまで眼前の風景を素直に表現する段階に終始している。その点が物足りないとも言えるが、姜夔詩の特長である。

○姜夔詩は飾らないし、素直である。ただ、その物語性は頗る高い。おそらく、それは姜夔が『詩』ではなく、『詞』を得意としたからではないか。姜夔の詩に、従来の唐詩とは、何処か異質なものを感じるのは、姜夔の詩が独特のものであるからに違いない。

○姜夔の「昔游诗 其一」詩や、「昔游诗 其二」詩を読むと、そのことがよく判る。姜夔は二句づつで、話を完結し、それが微妙に展開しながら、連続して詩全体を形成している。だから、読者は、次にどういう世界が広がるかを楽しみに読むこととなる。姜夔はそういう読者の期待に上手に半分応えて展開し、半分読者の期待を裏切って上手に展開する。それが姜夔詩の魅力なのだろう。

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