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雍國鈞:題君山

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○君山は岳陽楼の対岸、洞庭湖の西の彼方に存在する山である。中国の検索エンジン百度の百度百科には、

      君山[jūn shān]
  【简介】
   君山风景图片(20张)君山,古称洞庭山、湘山、有缘山,是八百里洞庭湖中的一个小岛,与千古名楼
  岳阳楼遥遥相对,总面积0.96平方公里,由大小七十二座山峰组成,被“道书”列为天下第十一福地,
  现为国家级重点风景名胜区,国家AAAAA级旅游区。
と案内している。岳陽楼から夕陽を望むと、ちょうど夕陽が沈むところあたりが君山となる。

○岳陽楼や洞庭湖を詠んだ詩の中には、よく君山が出て来る。前に紹介した李白「陪族叔刑部侍郎曄及中書賈捨人至游洞庭」詩の其五には、
  淡掃明湖開玉鏡
  丹青畫出是君山
と描かれていたし、前回案内した劉禹錫「望洞庭湖」詩でも、
  遙望洞庭山水翠
  白銀盤里一青螺
とある。この『洞庭山』が君山であり、『一青螺』が君山である。

○今回紹介するのは、雍國鈞の「題君山」詩である。

  【原文】
    題君山  雍國鈞
    煙波不動影沉沉
    碧色全無翠色深
    疑是水仙梳洗處
    一螺青黛鏡中心

  【書き下し文】
      君山に題す  
    煙波は動かず、影は沉沉たり、
    碧色は全く無く、翠色の深し。
    疑ふらくは是れ、水仙の梳り洗ふ處かと、
    一螺の青く黛り、鏡の中心たる。

  【我が儘勝手な私訳】
    朝、洞庭湖の湖面には霧が一面に立ち込め、君山はその中に黒く沈んでいる。
    昼、日が昇ると、洞庭湖の湖面に水色は無く、君山の山の青さが一際目立つ。
    思わず、ここは君山の湘君姐妹が髪を梳り洗う処ではないかと思った次第である。
    君山は青々と照り映え、洞庭湖の真ん中に堂々と浮かんでいる。

○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する雍國鈞は、次の通り。

      雍陶
  【人物简介】
   古代文学巨匠,出生于唐代。
   雍陶(约789~873以前),字国钧,成都人。工于词赋。少贫,遭蜀中乱后,播越羁旅,有诗云:
  “贫当多病日,闲过少年时。”大和八年陈宽榜进士及第,一时名辈,咸伟其作。然恃才傲睨,薄于亲
  党。其舅云安刘钦之下第,归三峡,却寄陶诗云:“山近衡阳虽少雁,水连巴蜀岂无鱼“得诗颇愧赧,
  遂通向不绝。大中六年,授国子毛诗博士。与贾岛、殷尧藩、无可、徐凝、章孝标友善,以琴樽诗翰相
  娱,留长安中。大中末,出刺简州,时名益重,自比谢宣城、柳吴兴,国初诸人书奴耳。宾至,必佯佯
  挫辱。投贽者少得通。秀才冯道明,时称机捷,因罢举请谒,给阍者曰:“与太守有故。”陶倒屣,及
  见,呵责曰:“与足下素昧平生,何故之有“冯曰:“诵公诗文,室迩人远,何隔平生“吟陶诗数联,
  如“立当青草人先见,行近白莲鱼未知。”又“闭门客到常如病,满院花开未是贫。”又“江声秋入
  峡,雨色夜侵楼“等句。陶多其慕己,厚赠遣之。自负如此。后为雅州刺史,郭外有情尽桥,乃分衿祖
  别之所。因送客,陶怪之,遂于上立候馆,改名折柳桥,取古乐府《折杨柳》之义。题诗曰“従来只有
  情难尽,何事呼为情尽桥自此改名为折柳,任它离恨一条条。”甚脍炙当时。竟辞荣,闲居庐岳,养疴
  傲世,与尘事日冥矣。有《唐志集》五卷,今传。

○雍國鈞の「題君山」詩が、劉禹錫の「望洞庭湖」詩を受けて書かれていることは、君山を『一螺』と形容していることからも明らかである。ある意味、劉禹錫の「望洞庭湖」詩は、それほど有名であったらしい。

○中国の検索エンジン百度の百度百科の、君山の項目の説明を読めば判るように、君山は道教の福地として知られたところであるし、舜帝の妃、娥皇、女英の居住するところでもある。

○岳陽楼は、様々な伝説や神話に彩られている。そういう混沌とした中に存在するのが岳陽楼なのである。それは単に、岳陽楼を訪れたくらいで理解されることではない。本当は、そういうことを理解した上で、岳陽楼を訪問しない限り、真の岳陽楼は見えて来ない。まさに、岳陽楼は文化そのものであることが理解される。

○ただ、岳陽楼を訪れただけでは、真の岳陽楼訪問にはならない。岳陽楼訪問には、時を超えることが不可欠であることがよく判る。

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