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天皇家の故郷狗奴国

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○狗奴国は邪馬台国の南に存在した国だと「三国志」は記す。邪馬台国畿内説では熊野国を狗奴国に比定し、邪馬台国北九州説では熊襲国を狗奴国に比定したりしている。しかし、大和国と熊野国の相諍など聞いたことが無いし、北九州と熊襲国が争った形跡も見られない。

○それに「三国志」に拠れば、倭国三十国のうち、狗奴国を除いた国々は倭国連合を形成していたとあるから、それに敵対する狗奴国は一国ながらも、相当強国であったと想像出来る。

○そういう意味では、「古事記」「日本書紀」が記す山幸海幸神話は甚だ気になる。「古事記」「日本書紀」では日向神話から地上神話は始まる。そして、出雲神話は何故か天上神話の中に組み込まれている。そういう記紀編集者の意図はしっかり酌み取る必要がある。

○どう考えても、出雲神話は地上神話だとするしかない。もともと日向神話に匹敵するか、もしくは日向神話以上の出雲神話が存在したことは間違いなさそうである。それを記紀は故意に天上神話とし、出雲神話の冒頭部分をさっぱりと削除している。だから、出雲神話は出雲国から始まることとなる。

○出雲国は、もちろん地上国である。だから天上神話ではない。しかし、記紀編纂者が目論むのは、ひとえに天皇家の歴史にほかならない。子供は両親から生まれているのに、父親の歴史しか語らない。それが記紀の目的である。

○それにはもちろん理由がある。日本の古代社会は母系社会であって、圧倒的に母系が有力だったのである。しかし、記紀が編纂された八世紀には、中国から確固とした父系社会の歴史が伝えられ、それに対応する日本の歴史を陳述する必要性に迫られていた。そう言う中で生まれたのが「古事記」であり、「日本書紀」である。そういう編纂時期の都合で記紀は作成されている。

○大和国を出雲神が領知しているのは、そういう理由からである。出雲神の故郷は邪馬台国とするしかない。そこには今でも『八雲立つ出雲』の風景を常時見ることが出来る。大和国の母なる国が出雲なのであり、邪馬台国なのである。

○「古事記」「日本書紀」が記す山幸海幸神話は、兄弟喧嘩として処理されている。ウィキペディアフリー百科事典が案内する山幸海幸神話は、次の通り。

      山幸彦と海幸彦
   山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)は、『記紀』に記された日本神話。主に「海幸山
  幸(うみさちやまさち)」と呼ばれ、神話に多い神婚説話、理想郷に留まる内容であり、民話「浦島
  太郎」のもととなっている。誕生地、生活などの伝説は宮崎県の宮崎市を中心とした宮崎平野に集中
  している。
  【概要】
   記紀の名称表記:
    ・山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)
    ・海幸彦 - 火照命(古事記)・火闌降命(日本書紀)
   名前のごとく、山の猟が得意な山幸彦(弟)と、海の漁が得意な海幸彦(兄)の話である。兄弟は
  ある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。困り果てて
  いた所、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(わたつみのかみのみ
  や)」(又は綿津見の宮、海神の宮殿の意味)に赴く。
   海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮
  で楽しく暮らすうち既に3年もの月日が経っていた。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失く
  した釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その
  玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせたという。この海幸彦は隼人族の祖である。
   その後、妻の豊玉姫は子供を産み、それが鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、山
  幸彦は神武天皇の祖父にあたる。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B9%B8%E5%BD%A6%E3%81%A8%E6%B5%B7%E5%B9%B8%E5%BD%A6

○何ともお粗末な説明ではあるけれども、無いよりましだから掲載しておく。
  ・誕生地、生活などの伝説は宮崎県の宮崎市を中心とした宮崎平野に集中している。
などと言う表現は、まるで神話を知らない人の意見と言うしかない。

○山幸彦は、彦火火出見尊だと言うのだから、神代第二代になる。神代初代が彦火瓊々杵尊で天孫降臨の神である。神代第三代は鵜草葺不合命で、神武天皇の父になる。神代三代の御陵を神代三山陵と申し上げる。

○現在、宮内庁が神代三山陵として管轄しているのは、次の通りである。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県薩摩川内市の新田神社
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県霧島市溝辺町麓の高屋山陵
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○これは明治時代に比定されたもので、まるで根拠の無い話である。神代三山陵の第一人者は何と言っても白尾國柱である。彼の意見を無視することは出来ない。ただ、白尾國柱は江戸時代の国学者であるから、相当の時代制約の中で生きている。その白尾國柱の神代三山陵研究を継承したのが、以下のブログである。
  ・書庫「神代三山陵の研究」:16個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/144322.html?m=l&p=1

○結果、真実の神代三山陵は、次のようになる。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=鹿児島県鹿屋市吾平町上名の吾平山陵

○現代に神代の御陵を甦らせることなど、誰にも不可能だろうと、正直、私も思っていた。推測は出来ても証明は不可能だからである。ところが実に意外なところから神代三山陵を証明することが出来た。それが神代三山陵の先坣僑位である。古代人は大和国に神代三山陵を勧請していたのである。

○神代三山陵の先坣僑位とは、次を指す。
  初代・彦火瓊々杵尊の御陵=可愛山陵=吉野山
  二代・彦火火出見尊の御陵=高屋山陵=高野山
  三代・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵=吾平山陵=熊野本宮

○つまり、大和国の神代三山陵の先坣僑位が真実の神代三山陵がどういうものであったかを教えてくれる。本ブログではそのことを詳しく検証済みである。
  ・書庫「邪馬台国三山」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39388930.html

○山幸彦が彦火火出見尊である以上、宮崎県は山幸海幸神話とは無関係とするしかない。山幸海幸神話のテーマは兄弟喧嘩ではなく、邪馬台国と狗奴国の相諍だと言うことが判る。内容的にも兄弟喧嘩と言うより、夫婦喧嘩が相応しい。狗奴国が天皇家の故郷であり、邪馬台国は出雲神の故郷なのだから。

○神話は決して空想の産物などではないのである。とんでも無い話ばかりだが、そこに古代人は寓意を込めて神話を残している。丁寧に神話を紐解くと、そういうことが判る。

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