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邪馬台国と投馬国

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○何しろ「三国志」が記す投馬国の記録は、
  南至投馬國、水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。
の、僅か25字に過ぎない。ここから投馬国の肖像を描くのは容易なことでは無い。

○前回、不彌国から投馬国への道程を中心に述べた。今回は投馬国とその後に記録されている邪馬台国との関係を見ておきたい。邪馬台国の記録は、次のようになっている。
  南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。
  官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。

○投馬国から邪馬台国までは『水行十日、陸行一月』とあって、結構遠い。これも前回触れたことだが、『陸行一月』は、おそらく『陸行一日』の誤記か誤写であろうと思われる。詳細は前回をご覧いただきたい。

○補足すれば、末廬国以降に『渡海』の文言は無い。つまり、岸沿いに九州島を右回りルートで迂回するのが「三国志」の記述であることが判る。だから、二十日進んでも、十日でも決して道を間違えることは無い。不彌国から最終的に到着するのは投馬国だから、方角は南になることも納得出来る。

○その投馬国から邪馬台国までが『水行十日、陸行一月』と言うのが、『水行十日、陸行一日』なら、不彌国から投馬国までと同様、水行中心となる。実際は、その途中に狗奴国沿岸を経由することになるのだが、「三国志」の編者、陳寿には倭国三十国の鳥瞰図を描きたいと言う野望があるから、狗奴国は素通りする。もっとも、現実的には、狗奴国の中心部は志布志湾内に奥深く存在するから、狗奴国を通過することにはならない。船なら宮崎県都井岬から大隅半島火崎の沖合を通ることになる。その後、大隅半島を周回して薩摩半島へ向かう。

○邪馬台国の中心が薩摩半島南部に存在したことは、薩摩国一宮が枚聞神社であることや阿多が万之瀬川河口近くであること、日本三津の筆頭である坊津港が存在することからも明らかである。

○こういう経緯を辿ると、不彌国の出発地は現在の筥崎宮辺りになるのではないか。また、同様に、投馬国の港は耳川河口が天然の良港となっている。そう言う意味では、邪馬台国の港は坊津だったと推測出来る。

●邪馬台国と投馬国を考える上で、宗教は大事な要件であろう。日向国一宮は都農神社と申し上げる。宮崎県児湯郡都農町大字川北に鎮座まします。御祭神は大己貴命。

●ウィキペディアフリー百科事典が案内する都農神社は、次の通り。

      都農神社
   都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国
  幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
   明治以前は「宮崎社」「宮崎宮」とも称されていた。地元では「一の宮神社」とも呼ばれる。
  【祭神】
  ・大己貴命 (おおなむちのみこと) 大国主命(おおくにぬしのみこと)に同じ。古くからの都農
  町一帯の守り神であることから、土地の神として大己貴命を充てたものであるとされている。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E8%BE%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

●別に、都農神社HPも存在する。
  日向国一之宮:都農神社
  http://w01.tp1.jp/~sr09697901/

●日向国一宮である都農神社の御祭神が大己貴命であることの意義は大きい。上記案内にもあるように、大己貴命は大国主命の別名であり、出雲神である。つまり、日向国は出雲神の領知するところの国であったことが判る。

○念の為に補足すると、出雲神の故郷は出雲国ではない。出雲神の故郷は邪馬台国である。大和国を領知するのが出雲神であるように、日向国も出雲神の領知するところの国であることは興味深い。

○私たちは出雲神の故郷が出雲国であると信じて疑わない。「古事記」や「日本書紀」がそう記しているではないかと反論されるかも知れない。しかし、よくよく「古事記」「日本書紀」を読むと判るのだが、出雲神話は記紀が記しているのが全てではない。出雲神話の後半部は記紀が記しているけれども、出雲神話の前半部を記紀は故意に消去していると言わざるを得ない。その出雲神話の前半部の舞台が薩摩半島になる。

○その証拠に、出雲国で「八雲立つ出雲」の風景を何処にも見ることが出来ない。それは大和国で大和地名を説明できないのと同じである。出雲神は他所から出雲国に勧請されていると言うしかない。同じように、大和地名も他所から大和国へ移動してきた地名である。

○出雲神の故郷が邪馬台国であれば、大和国を領知するのが大神神社を始めとする出雲神であることが納得される。大和地名も出雲神の故郷も、実は同じところから出た地名であり、神なのである。

●現代に於いて、日向国一宮が都農神社であることを理解する人は少ないのではないか。まして、その御祭神が出雲神であることを知る人はもっと少ない。

●同じように、大和国一宮である大神神社の御祭神が大物主大神であることを知る人は居ても、大和朝廷のお膝元である大和国を領知するのが何故出雲神であるかを理解している人はほとんど居ない。

●古代は宗教の時代なのである。その古代を理解するのに、宗教を抜きに考えることは出来ない。そんなことも理解しないで古代を語っている人が何と多いことか。

◎古代日向国を語るのに、都農神社を抜きに語ることは出来ない。その都農神社が大己貴命を御祭神としていることは、邪馬台国と同じであると理解出来る。それほどの影響を古代日向国は邪馬台国から受けている。

◎「三国志」は、邪馬台国から投馬国までは『水行十日、陸行一月』の道程であるとする。結構離れた国だと思われるかも知れない。しかし、投馬国と邪馬台国とは隣接する国である。その国境に屹立する山が霧島山である。

◎霧島山が天孫降臨の世界山であることは、そういうことを意味する。つまり、邪馬台国と狗奴国と投馬国の三国を分ける山が霧島山である。ウィキペディアフリー百科事典では、次のように案内する。

      霧島山
   霧島山(きりしまやま)は、九州南部の宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群の総称であり、
  霧島連山、霧島連峰、霧島山地あるいは霧島火山群とも呼ばれる。最高峰の韓国岳(標高1,700m)と、
  霊峰高千穂峰(標高1,574m)の間や周辺に山々が連なって山塊を成している。
  【地理】
   北海道の大雪山と同様に霧島山という固有の山はなく、個々の山岳はそれぞれ個別の名称で呼ばれ
  る。山岳群に加えて大小の湖沼群を抱え、高千穂河原やえびの高原、霧島温泉郷などの観光地に恵ま
  れる。山塊の中心部は霧島屋久国立公園(霧島地域)に指定されている。日本百名山、日本百景の一
  つであり、2010年9月にはジオパークの一つとして認定された。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B1%B1

◎その霧島山は、また邪馬台国三山の筆頭でもある。
  ・畝傍山=霧島山(1700叩
  ・香具山=桜島山(1117叩
  ・耳成山=開聞岳(924叩

◎このことについては、最近触れたばかりであるから、そちらを参照されたい。
  ・書庫「邪馬台国三山」:54個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1264643.html?m=l&p=1

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