○2015年3月10日付、朝日新聞に、随分久し振りに、特集記事「おしえて邪馬台国」が掲載された。記事には次のような見出しが躍っている。
遺体囲む鏡・なぜ壊す?
北部九州の儀礼・吉か不吉か諸説
破砕習俗の源はどこなのか
○前書きには、次のようにあった。
貴重な鏡をわざわざ割って墓に入れる――。こんな不思議な行為が「魏志倭人伝」に登場する
北部九州のクニグニで行われていたらしい。神聖な鏡を意図的に壊す背景に、どんな弥生人の思
いが隠れているのだろう。
○どうやら、ここで問題になるのは、糸島市の平原遺跡であるようである。記事の冒頭には、次のようにあった。
弥生時代終末期の平原遺跡(福岡県糸島市)は、かつてここにあった伊都国の最後の王墓ともいわ
れる。遺体を取り囲むように40面もの鏡が置かれていたが、どうしたことか、それらはことごとく
粉々だった。弥生時代も古墳時代も、王墓級の墓といえば完全な形で収められるのが当たり前な気が
するのだけれど、なぜだろう。
●詳細は原文を読んでいただくしかないのだが、話の中心が平原遺跡の破鏡にあることは間違いない。だから、邪馬台国や卑弥呼とは、まるで無関係の話に過ぎない。それなのに、何故か卑弥呼が登場する。
○それが次のような話になっているから、何とも可笑しい。
鏡や青銅器の緻密な研究で知られる柳田康雄・元國學院大教授も平原遺跡を「巫女王墓」、その被
葬者を卑弥呼の近親者ととらえる。平原の主が誰かはともかく、弥生世界に鏡をマジカルなパワーの
源とみる観念があってもおかしくはない。卑弥呼が操ったという「鬼道」も、このたぐいだろうか。
●福岡県糸島市の平原遺跡が卑弥呼の近親者の埋葬されたものだと言うから驚く。確かに平原遺跡出土の鏡は凄いものである。だからと言って、それがそのまま何故卑弥呼に直結するかが判らない。卑弥呼は邪馬台国の女王であって、伊都国とは直接関係無い。
○この記事には平原遺跡の解説文もあるが、これがまた面白い。
【平原遺跡】
1965年、ミカンの植栽中に発見。一辺10辰鯆兇┐詈措楕茵D招贈苅供■記造旅馥盧蚤
の内行花文鏡5面や方格規矩(きく)鏡など合計40面、ガラス勾玉(まがたま)、メノウの管玉、
素環頭大刀などが副葬されていた。いずれも国宝。割り竹木棺に収められたのは女性ともいわれ、天
照大神(オオヒルメノムチ)、卑弥呼やその母、姉などの見方がある。
●この解説文でも何の疑問も無く、平原遺跡の埋葬者が「天照大神(オオヒルメノムチ)、卑弥呼やその母、姉などの見方がある。」とある。第一、天照大神(オオヒルメノムチ)は天上神話の神様である。その墓が地上に存在することなど、あり得ないはずである。
◎朝日新聞では、2015年3月2日(月)にも、「卑弥呼の鏡」三角縁神獣鏡、「同型を中国で発見」との記事を載せていた。
・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『「卑弥呼の鏡」三角縁神獣鏡』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39476649.html
◎これも全く怪しい話だったが、今回の「おしえて邪馬台国」も何とも非道い記事である。卑弥呼や邪馬台国と平原遺跡との間には、ほとんど何の関係も無い。それは「三国志」を読めば判ることである。朝日新聞の特集記事「おしえて邪馬台国」は、「おしえて邪馬台国」と題しながら、邪馬台国について何も関係ないものを案内しているのに驚く。
◎平原遺跡も、こういう扱いを受けて、全く気の毒と言うしかない。伊都国歴史博物館を訪れてみれば判ることだが、平原遺跡から出土した鏡の大きさ立派さは尋常では無い。だからと言って、何でも卑弥呼に結び付けるのは良くない。伊都国にもそれだけの王が存在したと言うことを平原遺跡から出土した鏡が証明しているのである。
◎誰がどう考えても、伊都国は伊都国であって、邪馬台国は無いし、卑弥呼の所在地でも無い。それに邪馬台国へ行けば、卑弥呼の鬼道がどういうものであったかも見えて来る。こんなつまらない考古学者先生の妄想に付き合う暇があったら、先ずは「三国志」を読むことをお勧めする。そして真実の邪馬台国を訪問することである。
◎邪馬台国も卑弥呼も「三国志」に書かれた史実であることを忘れてはなるまい。「三国志」に拠れば、伊都国は邪馬台国から『二百里+水行二十日+水行十日+陸行一月』も離れたところに存在する。その伊都国の遺跡が邪馬台国や卑弥呼のものであると考える方がどうかしている。
◎考古学者先生は「三国志」を読まないで邪馬台国を考える。「三国志」には魏国が認識する倭国三十国を次のように案内する。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
◎それで伊都国の平原遺跡が邪馬台国に関係するとは誰も思わない。そんなのは何も知らない考古学者先生の妄想に過ぎない。邪馬台国は「三国志」が記す史実である以上、「三国志」を離れて邪馬台国や卑弥呼を論じることは誰にも出来ない。
◎朝日新聞も、こういう妄想に付き合う暇があったら、「三国志」を読むべきではないか。「三国志」が読めない人はこういう妄想を信じる。朝日新聞が敬愛して止まない漱石先生の言葉を借りれば、朝日新聞の特集記事「おしえて邪馬台国」は、まさしく『車夫馬丁の輩の所行』と断じるしかない。
◎邪馬台国には大和三山が堂々聳えている。卑弥呼は日本の国母として現在でも日本中に祀られている。是非、真実の邪馬台国へどうぞお出掛けを。