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出雲神と卑弥呼

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○卑弥呼とは誰か。そして、卑弥呼とはどういう人物であったのか。三世紀の中国の史書「三国志(魏志倭人伝)」が伝える史料は、全部で1984字と、極めて僅かなものに過ぎない。そこで特記されているのが卑弥呼の鬼道であることは見逃せない。

○本ブログでは、すでにそのことについて、以下のブログで案内済みである。
  ・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『卑弥呼の鬼道』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40183037.html

○面白いことに、『卑弥呼の鬼道』を現代でもそのまま具現している場所がある。そこへ出掛ければ、『卑弥呼の鬼道』がどういうものであったか、実際に目にすることが出来る。その場所とは、中国の浙江省舟山群島普陀山である。

○これまで普陀山には5回訪問している。
  ・書庫「海天佛国:普陀山」:31個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1204492.html?m=l
  ・書庫「普陀山・洛迦山」:29個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1210153.html?m=l
  ・書庫「寧波三歩・洛迦山参詣」:34個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1221590.html?m=l
  ・書庫「観音信仰の島:普陀山」:14個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1228925.html?m=l
  ・書庫「日本仏教伝来の普陀山」:37個のブログ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/folder/1241668.html?m=l

●つまり、『卑弥呼の鬼道』とは、山岳信仰の原始仏教であり、太陽崇拝であることが判る。中国の浙江省舟山群島普陀山では、それが観音信仰と見事に一致しているのを見ることができる。

●私たち日本人が、正月にあれほど初日の出を楽しみ、山に登ればご来迎にあれほど執着するのは、何のことは無い。卑弥呼の時代からの習俗であるに過ぎない。ただ、私たちがそのことを自覚していないだけのことである。もともと文化とはそういうものである。だから、時折、こうやって耕す必要がある。

●2013年1月に出された村井康彦の「出雲と大和」(岩波新書)は、なかなか含蓄に富む良書である。村井はその中で出雲神が磐座信仰であることを看破してみせる。詳しくは以下を参照されたい。
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読む 
   http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37662211.html
  ・書庫「邪馬台国検証」:ブログ「村井康彦:「出雲と大和」を読むΑ
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37678684.html

◎また、村井康彦はまだ気付いていないが、出雲神の故郷が出雲国であるわけではない。出雲神の故郷は日向国なのである。同じように、村井康彦が「出雲と大和」で言及する出雲神が磐座信仰であることは、当然、日向国で見ることが出来る。

◎もっとも、その磐座信仰自体が日本オリジナルのものでは無いこともはっきりしている。それは中国の浙江省舟山群島普陀山で同様のものを見るからである。もし、村井康彦が普陀山を訪問すれば出雲神のルーツがここにあることを納得するのではないか。

◎「三国志」を読むと判ることだが、三世紀の倭国は国際社会の只中にある。そういう世界の中で、卑弥呼が手に入れていたのが、まだ中国でも新興宗教に過ぎなかった仏教であったことに驚く。そういう当時でも最新の文化を受容していたのが卑弥呼であった。

◎おそらく、卑弥呼は自由に中国語を話せたし、中国語を読むことが出来た。そうでなくては、自由に中国との交流が図れなかった。「三国志」を読むと判ることだが、卑弥呼は239年、卑弥呼は最初の使いを魏国へ遣わしている。しかし、卑弥呼の中国との交流は、決してこれが最初ではない。

◎中国の正史には出て来ていないけれども、卑弥呼が239年以前に盛んに中国との交流を図っていたことは間違いない。そのルートもはっきりしている。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
  ・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
  ・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
  ・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
  ・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
  ・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→邪馬台国(56辧

◎実は、このルートこそが中国から日本へ仏教が伝来した道なのである。日本と中国との交流の歴史を見れば判ることだが、朝鮮半島経由で交流がなされたことはほとんどない。日本と中国との交流の歴史のほとんど、寧波経由であることが判る。

◎そのことは「三国志(魏志倭人伝)」の編者、陳寿もよく理解している。だから、陳寿が採用しているのは、中国の伝統的な倭国の認識の仕方である。それが倭国が百越の一国であると言う認識の仕方である。

◎本当は、そういうふうに「三国志(魏志倭人伝)」は読むべきなのである。しかし、なかなか日本人には「三国志」は読めない。もともと、日本人など、「三国志」の読者対象ですら無いのでるから。そういうことを自覚しない限り、「三国志」は読めない。

◎日本に関係する「三国志(魏志倭人伝)」を読みたいと本当に思うならば、中国へ出掛けて読むしかない。何故なら、「三国志(魏志倭人伝)」は、中国人による、中国人のための中国の書物に過ぎない。一切、日本人に対する考慮など、なされていないのである。そんな書物が普通の日本人に読めると考える方がどうかしている。

◎「三国志(魏志倭人伝)」が読める人は、中国の史家の感覚や物差し、文化、習慣を身に着けている人に限定されると言うしかない。そういう人は中国の史書を読むことが趣味であり、中国の歴史文化地図習俗を理解している人だろう。そのためには、中国訪問は必要最低要件だろう。

◎「三国志(魏志倭人伝)」を読書する場所も中国の会稽か寧波が相応しい。そのことは会稽や寧波を訪れれば、容易に理解される。それくらいの努力を惜しんでいては「三国志(魏志倭人伝)」は読めない。ちなみに、私は、これまで、会稽に4回、寧波に5回訪問している。

◎誰もが「三国志(魏志倭人伝)」を読んだとおっしゃる。しかし、本当は、「三国志(魏志倭人伝)」を読んでいない。中国の史書には、一種独特の作法が存在する。そういうことを理解しないで、「三国志(魏志倭人伝)」が読めるはずがないのである。

◎第一、「三国志(魏志倭人伝)」の主題すら明確にしない読書など、考えられない。「三国志(魏志倭人伝)」の主題は、倭国三十国の全貌である。それは次のように案内される。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

◎閑話休題、中国の浙江省舟山群島の普陀山へ出掛けると、出雲神の磐座信仰を見ることが出来る。鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ行くと、『八雲立つ 出雲』の風景を見ることが出来る。それは見た者にしか理解されないことである。

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