○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「清明」には、多義が存在し、次の項目を並べる。
‘鷭住节气之一 汉语词汇 节气 长篇小说 ヅ眤綸遼诗作
动画火影忍者中人物 Р庭坚诗 北宋魏野创作的七言绝句 孙永的诗
2014年电影 冰弦演唱歌曲 钟丽燕演唱的歌曲 谷建芬作曲的歌曲
左河水写清明扫墓的诗 唐代杜甫诗作
○これまで、
ヅ眤綸遼诗作
Р庭坚诗
北宋魏野创作的七言绝句
孙永的诗
左河水写清明扫墓的诗
と案内してきた。今回案内するのは、杜甫「清明」詩である。中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「清明」項目の杜甫詩は、次のようにある。
清明(唐代杜甫诗作)
《清明》是唐朝著名文学家杜甫的代表作品之一,出自《全唐诗》。
http://baike.baidu.com/item/%E6%B8%85%E6%98%8E/19435506#viewPageContent
○百度百科が載せる『清明(唐代杜甫诗作)』は、原文と杜甫略伝を載せるだけで、何とも物足りないものとなっている。せめて、作品案内や語釈くらいは必要だろう。
○もちろん、日本で杜甫の「清明」詩が知られているわけでもないので、自分で訳すより仕方がない。
【原文】
清明
杜甫
著處繁花務是日
長沙千人萬人出
渡頭翠柳艷明眉
爭道朱蹄驕嚙膝
此都好游湘西寺
諸將亦自軍中至
馬援征行在眼前
葛強親近同心事
金鐙下山紅粉晚
牙檣捩柁青樓遠
古時喪亂皆可知
人世悲歡暫相遣
弟姪雖存不得書
幹戈未息苦離居
逢迎少壯非吾道
況乃今朝更祓除
【書き下し文】
清明
杜甫
著きし処は花の繁り、是の日を務む、
長沙は千人万の人の出づ。
渡頭の翠柳、明眉の艶なり、
道を争ふ朱蹄、噛膝の驕なり。
此の都、湘西寺に好遊し、
諸将も亦た軍中より至る。
馬援の征行、眼前に在り、
葛強親近、同心の事。
金鐙下山、紅粉の晩、
牙檣捩柁、青楼遠し。
古時の喪乱、皆知るべく、
人世の悲歓、暫く相遣る。
弟姪の存すと雖も、書を得ず、
干戈は未だ息はず、苦離の居。
少壮に逢迎するは、吾が道に非ず、
況んや乃ち今朝、更に祓除するをや。
【我が儘勝手な私訳】
湘江を遡り、着いたところは、花盛りで、清明節に相応しく、
その長沙の湘江岸辺には大勢の人が郊外に出ているのを見る。
長沙の湘江辺には緑の柳葉がつやつやと美しく、
大通りを馬や馬車がたくさん争うかのように走っている。
この度、長沙の湘西寺へ参詣するのだが、
多くの参拝客が各地からたくさん訪れているのを見る。
此処、長沙の地は、嘗て馬援が征行した地であり、
道士、山簡が愛した土地でもある。
立派な馬に乗って下山した後、美人とともに過ごした夜や、
立派な船舶の舵を操り、豪華な高楼で遊んだ出来事は遙か昔の話だ。
このように、昔の人の死亡や禍乱の話は誰でも知っているのに、
肝心の現在の人の喜びや悲しみは、ただお互いを思い遣るしかないのだ。
私にも、兄弟親戚が居るのだけれども、手紙の遣り取りもままならないし、
相変わらず戦乱が打ち続き、兄弟親戚とも別れて暮らす生活である。
今の若者に迎合して生活するようなことは、私には到底出来ないし、
まして、今朝は清明節であるから、先祖を祀り、御祓いをしなくてはならない。
○杜甫の「清明」詩は、大暦四年(769年)、長沙での作だと言う。『百度百科』には、
《清明》是唐朝著名文学家杜甫的代表作品之一,出自《全唐诗》。
と載せる。七言十六行の古体詩であるから、相当長い。この詩が杜甫の代表作品の一つだと言う話は聞かないけれども、佳詩であることは間違いない。何より、よく勉強して作詩されている。こういう創意工夫が杜甫の真骨頂である。そういう意味では、もっとも杜甫らしい作品だと言えよう。
○2013年6月、2014年6月と、二年続けて長沙を訪問した。もっとも、2014年は、ほとんど素通りであったが。2013年に長沙を訪問した際、長沙は南岳衡山の入り口であることを理解した。長沙を訪問して、南岳衡山へ参詣しないのでは、長沙を訪れたことにはならないと思った。それで、2014年に、再度訪問したわけである。
○杜甫が亡くなったのは、大暦五年(770年)4月とされるから、杜甫の「清明」詩が作られたのは最晩年の頃である。杜甫の「清明」詩を読むと、彼の作詩態度や生き様がそのまま詩に表現されていることに気付く。虚心坦懐、詩人杜甫に何の気負いも感じられない。そういう杜甫の杜甫らしさがよく出ている詩である。