○更に、清明寒食の詩詞を続けたい。今回案内するのは、宋之問の「途中寒食題黄梅臨江驛寄崔融」詩である。宋之問は日本のウィキペディアフリー百科事典にも載せているけれども、その割に、その詩が知られているわけでもない。
宋之問
宋 之問(そう しもん、656年?-712年あるいは713年)は中国初唐の詩人。字は延清。虢州弘農
(現河南省、『旧唐書』より)あるいは汾州(現山西省、『新唐書』より)の人。沈佺期とともに則
天武后の宮廷詩人として活躍し、「沈宋」と併称され、近体詩の律詩の詩型を確立した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E4%B9%8B%E5%95%8F
○しかし、詳しいのは、何と言っても、中国の検索エンジン百度の百度百科である。
宋之问
宋之问(约656 — 约712),字延清,名少连,汉族,汾州隰城人(今山西汾阳市)人,初唐时期的
诗人,与沈佺期并称“沈宋”。
本名: 宋之问 字号: 字延清
所处时代: 初唐 民族族群: 汉 出生地: 虢州弘农(今河南灵宝)
出生时间: 约656年 去世时间: 约712年
主要作品 《度大庾岭》 主要成就: 律体开创者
其他: 与沈佺期并称沈宋 职业: 唐代诗人
http://baike.baidu.com/view/16924.htm
○宋之問の「途中寒食題黄梅臨江驛寄崔融」詩は、次の通り。
【原文】
途中寒食題黄梅臨江驛寄崔融
宋之問
馬上逢寒食
途中屬暮春
可憐江浦望
不見洛陽人
北極懷明主
南溟作逐臣
故園腸斷處
日夜柳條新
【書き下し文】
途中、寒食に、黄梅臨江駅に題して崔融に寄す
宋之問
馬上、寒食に逢ひ、
途中、暮春に属す。
怜れむべし、江浦の望、
洛陽の人を見ず。
北極に明主を懐かしみ、
南溟に逐はるる臣と作る。
故園、腸断する処、
日夜、柳条新たなり。
【我が儘勝手な私訳】
旅の途中、寒食節に逢い、
まだ、旅の只中なのに、もう暮春になろうとしている。
江南の春は、申し分無く、素晴らしいのだけれども、
この地で、都洛陽の人を見ることが無いのが寂しい。
北極星のような、英明君王が出現することを願いながら、
私は、南の果てに左遷された家臣である我が身を思う。
洛陽に居る家族のことを思うと、断腸の思いであるけれども、
此処、江南の地では、寒食節の季節、柳の新芽が美しい。
○詩題にある「途中寒食題黄梅臨江驛寄崔融」の、黄梅は湖北省黄冈市黄梅县になる。時代は唐代中宗の神龍元年(705年)二月のことである。黄梅县は、ちょうど、長江を挟んで、九江の対岸に位置するところである。宋之問が流されたのは、瀧州(現在の広東省羅定市)であるから、まだ、道の途中、半分も行っていない。そういう宋之問の思いがよく伝わってくる佳詩である。