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張友正:寒食日獻郡守

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○清明・寒食に関する文学を続けているが、
    寒食日献郡守
    【唐】伍唐珪
  入门堪笑复堪怜,三径苔荒一钓船。
  惭愧四邻教断火,不知厨里久无烟。
と言う詩を見付けた。それで読もうとして、いろいろ調べているうちに、伍唐珪「寒食日献郡守」詩と張友正「寒食日獻郡守」詩が全く同一のものであることが判った。

○前にも、魏野「清明」詩と王禹俏「清明」詩とが同じで困った経験がある。しかし、日本に居て、確認することもできないので、取り敢えず、そのままとするしかない。

○ただ、中国の検索エンジン百度の百度百科は、「寒食日獻郡守」詩を張友正作としている。

      寒食日献郡守
   张友正
   作草书自云得汉人心法。其用笔过为锋长而力弱,殆不可持,故使笔常动摇,势若宛转。其书别构一
  体,自得成就。虽神明潜发不逮古人,然自然处正自过人。《广川书跋》
    作品名称: 寒食日献郡守      创作年代: 晚唐
    文学体裁: 七言绝句        作者: 张友正
   http://baike.baidu.com/view/955171.htm

○「百度百科」を鵜呑みにするわけではないけれども、日本で調べることが出来ない以上、一応、張友正「寒食日獻郡守」詩として、扱っておきたい。原文等は、次の通り。

  【原文】
      寒食日獻郡守
         張友正
    入門堪笑復堪憐
    三徑苔荒一釣船
    慚愧四鄰教斷火
    不知廚裡久無煙

  【書き下し文】
      寒食日に郡守に献ず
         張友正
    門に入るに、笑ひに堪へ、復た怜れみに堪ふ、
    三径は苔に荒れ、一釣船あり。
    慙愧す、四隣に火を断つを教へらるるを、
    厨の裏に久しく煙無きを知らず。

  【我が儘勝手な私訳】
      寒食の日に、郡守に差し上げる詩一首
    我が家を見ながら、苦笑いを我慢するとともに、憐憫に堪えるしかない、
    我が家に来るのに、道は沢山あるが、道は荒れ放題で、釣舟が一艘あるだけだ。
    寒食日には火を焚いてはいけないと隣近所から教えられたのが頗る恥ずかしいが、
    もともと我が家の台所では、長いこと火など焚いて料理したことが無い。

○寒食日は、日本で言えば、ちょうど、桜の季節である。日本人なら、当然、花見だろう。同じような生活習慣が中国では寒食であり、清明だと言うことになる。

○その寒食日は、火を焚かない習慣だと言う。そして、新しい火を灯す習慣でもあるらしい。日本ではおせち料理があるけれども、おせち料理も、本来は寒食に近い。おせち料理と言うように、別に正月料理であったわけでも無いようである。

○もともと、日本には若水と言う生活習慣も存在した。ウィキペディアフリー百科事典が案内する若水は、次の通り。

      若水
   若水(わかみず)とは、往古、立春の日に宮中の主水司から天皇に奉じた水のもとを指した。後に
  元日の朝に始めて汲む水[1]、井戸から水を汲んで神棚に供えることを指すこととなった。若水をハ
  ツミズ、アサミズと呼ぶところも存在する。
   若水は邪気を除くと信じられ、神棚に供えた後、その水で年神への供物や家族の食事を作ったり、
  口を漱いだり茶を立てたりした。
   元日の朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかない仕来たりであ
  った。若水を汲むのは年男の役目とされたり、その家の女性が汲んだりした。若水を汲む時には「黄
  金の水を汲みます」など縁起の良い言葉を唱えた。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%B0%B4

○中国の寒食の習慣を見ると、日本のおせち料理や若水は、もともとそういうものから発生したのではないかと思われてならない。

○話が、張友正の「寒食日獻郡守」詩から随分逸れてしまったが、「寒食日獻郡守」詩は、寒食日の、そういう生活習慣を逆手にとって表現した、面白いものである。我が家は貧乏だから、一年中が寒食日そのものだ。どうにかしてくれ、郡守さんよと言う話である。

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