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武元衡:嘉陵駅

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○清明・寒食に関する文学を見て来ているが、前々回に武元衡の「寒食下第」詩を案内し、前回、同じ武元衡の「春興」詩を紹介した。今回案内するのも、武元衡の「嘉陵駅」詩である。

○前回紹介した「春興」詩は、中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「武元衡」項目で、『百度百科』が武元衡の代表作だと案内している詩であった。それで気になったから紹介したわけである。

○そういう意味では、今回紹介する武元衡の「嘉陵駅」詩は、日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する武元衡項目で、次のように案内されている。
   作品に、『嘉陵駅(かりょうえき)』(七言絶句)がある。
    嘉陵駅
  悠悠風旆遶山川     悠悠として風旆(ふうはい) 山川を遶(めぐ)り
  山駅空濛雨作煙     山駅(さんえき)空濛(くうもう)として雨は煙と作(な)る
  路半嘉陵頭已白     路(みち)は嘉陵(かりょう)に半ばにして頭は已(すで)に白し
  蜀門西更上青天     蜀門(しょくもん) 西にして更に青天(せいてん)に上(のぼ)る
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%85%83%E8%A1%A1

○当然、ウィキペディアフリー百科事典には、武元衡の代表作が「嘉陵駅」詩だと言う意識が働いていると判断せざるを得ない。それで、武元衡の「嘉陵駅」詩を見てみようと思った次第である。

  【原文】
      嘉陵駅
        武元衡
    悠悠風旆遶山川
    山駅空濛雨作煙
    路半嘉陵頭已白
    蜀門西更上青天

  【書き下し文】
      嘉陵駅
        武元衡
    悠悠たる風旆は、山川を遶り、
    山駅は空濛として、雨は煙と作る。
    路は嘉陵に半ばにして、頭は已に白きも、
    蜀門西にして更に、青天に上らん。

  【我が儘勝手な私訳】
    軍旗は悠然と落ち着いて風に吹かれながら、幾つもの山や河を通り過ぎ、
    山の中に存在する宿場町はどんよりと曇って薄暗く、雨は霧雨となっている。 
    都から蜀までのちょうど半分、嘉陵江に着いた時、私は既に白髪の老人で、
    蜀の入り口である剣閣山を更に西に、これから蜀国へと上らなくてはならない。

○嘉陵駅は、現在の広元市付近に存在した宿場町だと言う。もちろん、ここを流れるのが嘉陵江であることは言うまでも無い。嘉陵江は中国奥地を南北に貫く大河である。嘉陵江が長江に注ぎ込むところが重慶である。

●実は、昨年、2015年5月に「中国:重慶・成都・南充訪問」旅行をしてきた。その際、重慶から南充市へ嘉陵江を遡り、蓬安県の周子古鎮へ行き、更に嘉陵江を閬中まで遡って来た。南充や蓬安、閬中は、およそ嘉陵江の賜物と言うしかない。

●「中国:重慶・成都・南充訪問」旅行をしたことで、嘉陵江を通じて文化文物が移動し交流しているのが南充や蓬安、閬中であることを理解できた。そういう感覚は、現地を訪れない限り、なかなか理解されない。

●同じように、紀元前二世紀に蓬安県に司馬相如が生まれ、三世紀に南充市に譙周や陳寿が出現したのも、決して偶然ではあるまい。この地にそういう文化が誕生する契機は随所に見ることが出来る。そういう精神性の高さが蜀巴の特長であることに気付いている人は少ない。

◎武元衡の「嘉陵駅」詩には、一種の悲壮感が漂っている。それがまたこの土地の風土によく似合う。武元衡は、そのことをよく理解していて、この「嘉陵駅」詩を創っていると言えよう。

◎たまたま、インターネットで武元衡について、いろいろ調べていたら、「武元衡:送田三端公還鄂州」詩がヒットして驚いた。 武元衡が武昌の黄鶴楼で詠じたのが「送田三端公還鄂州」詩である。それが自分のブログであった。
  ・書庫「岳陽・武昌」:ブログ『武元衡:送田三端公還鄂州』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/38211458.html

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