○前回案内した、熊孺登同様、来鵠も日本ではほとんど知られていない詩人である。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する来鵠は、次の通り。
来鹄
来鹄(?-883),即来鹏(《全唐诗》作来鹄),唐朝诗人,豫章(今江西南昌市)人。相传来鹏家宅
在南昌东湖徐孺子亭边,家贫,工诗,曾自称“乡校小臣”,隐居山泽。师韩柳为文,大中(847-860)
咸通(860- 874》间,才名籍甚。举进士,屡试落第。乾符五年(878)前后,福建观察使韦岫召入幕府,
爱其才,欲纳为婿,未成。广明元年(880)黄巢起义军攻克长安后,鹏避游荆襄。
中文名: 来鹄 别名: 来鹏
国籍: 中国 出生地: 豫章(今江西南昌市)人
逝世日期: 公元883年 职业: 唐朝诗人
代表作品: 《寒食山馆书情》 性别: 男
http://baike.baidu.com/view/292966.htm
○来鵠の「寒食山館書情」詩は、次の通り。
【原文】
寒食山館書情
來鵠
獨把一杯山館中
每經時節恨飄蓬
侵階草色連朝雨
滿地梨花昨夜風
蜀魄啼來春寂寞
楚魂吟後月朦朧
分明記得還家夢
徐孺宅前湖水東
【書き下し文】
寒食、山館にて情を書す
来鵠
独り山館の中にて、一杯を把す、
時節を経る毎に、飄蓬を恨む。
階を侵す草色に、朝雨の連なり、
地に満つ梨花に、昨夜の風あり。
蜀魄が啼き来たりて、春は寂寞と、
楚魂を吟じし後に、月は朦朧たり。
分明し記得す、家へ還るの夢を、
徐孺の宅前に、湖水の東す。
【我が儘勝手な私訳】
寒食節の今日、山中の家にあって、思うところを記す。
一人、山中の家にあって、一杯の酒を飲みながら、
寒食節が来る毎に毎年、漂泊無住の身の上を恨むしかない。
家前の石段には春草が芽吹き、連日の朝雨に濡れて、
梨の花が地面を白くしているのは、昨夜の暴風雨のせいである。
ホトトギスが鳴いて来ると、春は物寂しく、
楚辞を詠じていると、春霞の中、朦朧とした月が昇ってくる。
歴然と故郷へ帰る夢を思い起こし、忘れることが出来ない、
豫章南昌の人、徐孺子の家の前を、鄱陽湖の水がゆったりと東へ流れて行く光景を。
○来鵠は、豫章(今江西南昌市)の人である。熊孺登の出身地も、钟陵(今江西省进贤县)だったから、来鵠と熊孺登とは、隣町同士である。豫章は、そういう文化の育つところなのであろうか。熊孺登の詩にしても、来鵠の詩であっても、風情があってなかなか佳い。
○南岳衡山から湘江や洞庭湖、廬山や鄱陽湖あたりを歩いてみると感じることだが、やはり道家思想のルーツはこの辺りにあるのではないか。そういうおどろおどろしさがこの辺りでは何処でも感じられる。どう考えても、黄河流域で、そういう感覚が生じることは無い。
○来鵠の「寒食山館書情」詩は、そういう雰囲気をよく伝えてくれる佳詩である。なかでも、特に私が気に入っているのは頸聯の、
蜀魄啼來春寂寞 蜀魄が啼き来たりて、春は寂寞と、
楚魂吟後月朦朧 楚魂を吟じし後に、月は朦朧たり。
である。蜀魄と楚魂とを並べ、それを「春寂寞」や「月朦朧」へと続ける力量は尋常では無い。まさに神通力が宿っている表現と言うしかない。
○ちなみに、『百度百科』には「寒食山馆书情」項目を載せる。原文を載せるだけで、何の説明や案内も無いのが何とも寂しいけれども。
寒食山馆书情
http://baike.baidu.com/item/%E5%AF%92%E9%A3%9F%E5%B1%B1%E9%A6%86%E4%B9%A6%E6%83%85