○熊孺登の「寒食野望」詩、来鵠の「寒食山館書情」詩と続けているが、今回は、白居易の「寒食野望吟」詩を案内したい。熊孺登や来鵠と違って、白居易は日本でもお馴染みの詩人である。
○白居易の「寒食野望吟」詩は、次の通り。
【原文】
寒食野望吟
白居易
烏啼鵲噪昏喬木
清明寒食誰家哭
風吹曠野紙錢飛
古墓壘壘春草
棠梨花映白楊樹
盡是死生別離處
冥冥重泉哭不聞
蕭蕭暮雨人歸去
【書き下し文】
寒食野望吟
白居易
烏啼き鵲噪ぐ、昏れの喬木、
清明寒食、誰が家か哭するは。
風の曠野を吹き、紙錢の飛ぶ、
古墓は壘壘たり、春草の。
棠梨の花は楊樹に白く映え、
是れ死生別離の盡くる處なり。
冥冥とした重泉、哭は聞えず、
蕭蕭とした暮雨、人は歸り去る。
【我が儘勝手な私訳】
寒食節の日、墓参りに詣でての吟詠
カラスが鳴き、カササギが騒いでいる、夕方の高い木の上で、
清明寒食節の今日、何処からともなく人の泣き声が聞こえてくる。
風が荒野を吹き抜け、賽銭である紙銭を飛ばして行き、
古い墓が何処までも続くところは、春草が青々と生い茂っている。
リンゴやナシの白い花が緑の柳樹に照り映えている此処、
墓地は畢竟、死生別離の集積するところだと言うしかない。
ぼんやりとした黄泉の国からは、鳴き声が聞こえてくるわけではない、
物寂しい夕方、雨の降る中、人々は清明寒食節の墓参りから帰って行く。
○流石、白居易。寒食節のメイン行事である掃墓を実に見事に表現していると言うしかない。中国での寒食節行事が、どのようなものであるかがよく判る。付け加えて、白居易が自説を蕩々と述べていることも見逃せない。
○歴史のある町へ行くと、町中を寺と墓が埋め尽くしている光景を目にする。逆に現代では、そういう寺や墓が崩壊していく時代であるような気がしてならない。また、寺を失った墓地を見掛けたりもする。「凄まじきもの」とは、私には、まさに寺を失った墓地であるような気がしてならない。
○白居易の「寒食野望吟」詩の風景がノスタルジア(郷愁)になるつつあるのが現代なのではないか。三世世界に生きた古代人と違って、現実世界のみに拘泥して止まない現代人の思想が如何に貧しいものであるかをしみじみ感じる。
○ちなみに、白居易のお墓は洛陽にある。ちょうど、龍門石窟の対岸になる。白居易は未来永劫、龍門石窟を遙拝することを願ってここを墓地に選んだのであろうか。昨年8月にお参りしてきた。
●中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる「寒食野望吟」は、次の通り。
寒食野望吟
《寒食野望吟》是由唐代诗人白居易所著,此诗描写了扫墓情形。
http://baike.baidu.com/view/2343663.htm
●「百度百科」の記事は、通り一遍で、見るべきところが何もないのが何とも寂しい。