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高翥:清明日対酒

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○清明節寒食節文学の74番目として案内するのは、高翥の「清明日対酒」詩である。

  【原文】
      清明日対酒
        高翥
    南北山頭多墓田
    清明祭掃各紛然
    紙灰飛作白蝴蝶
    涙血染成紅杜鵑
    日落狐狸眠冢上
    夜歸兒女笑燈前
    人生有酒須當醉
    一滴何曾到九泉

  【書き下し文】
      清明日、酒に対す
        高翥
    南北の山頭に、墓田多く、
    清明の祭掃に、各々紛然たり。
    紙灰は飛び作す、白蝴蝶、
    涙血は染み成る、紅杜鵑。
    日の落つれば、狐狸は塚上に眠り、
    夜に帰れば、児女は灯前に咲く。
    人生に酒有れば、須らく当に酔ふべく、
    一滴にて何ぞ曾て、九泉に到るべし。

  【我が儘勝手な私訳】
    南山や北山の山裾には、多くの墓地が存在しているので、
    清明節の今日、それらの墓地には参詣客が参集し、何処も騒々しい。
    墓地周辺では、春風に紙灰が飛び、まるで白い胡蝶のようであり、
    紅い涙や血が地に染みて、紅杜鵑の花となって咲いている。
    日没になれば、墓地には狐や狸が出没する世界へと変容し、
    夜になって家に帰ると、妻と子供が灯りを点けて出迎えてくれる。
    人生に酒があれば、当然皆、酒を飲んで酔わなくてはいけない、
    飲んだ酒の一滴が、そのうち地底の黄泉まで届くことになるのだ。

○高翥も、日本ではあまり馴染みの無い詩人である。ウィキペディアフリー百科事典が案内する高翥は、次の通り。

      高ショ
   高 翥(こう しょ、Kao zhù,1170年 - 1241年)は、南宋後期の中国詩人・作詞家。孝宗の時代の
  遊士(官職のない学者)。初め名を公弼といい、後に翥(しょ)と改めた。字を九萬といい、菊礀と
  号する。南宋・江湖詩派の代表であり「江湖游士」と呼ばれる。孫子奇は彼の子孫。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E3%82%B7%E3%83%A7

○中国の検索エンジン百度の百度百科が載せる高翥は、次の通り。

      高翥(南宋诗人)
   高翥(1170~1241),初名公弼,后改名翥。字九万,号菊磵(古同“涧”),余姚(今属浙江)
  人。游荡江湖,是江湖诗派中的重要人物,有“江湖游士”之称。高翥少有奇志,不屑举业,以布衣终
  身。他游荡江湖,专力于诗,画亦极为出名。晚年贫困潦倒,无一椽半亩,在上林湖畔搭了个简陋的草
  屋,小仅容身,自署“信天巢”。72岁那年,游淮染疾,死于杭州西湖。与湖山长伴,倒是遂了他的心
  愿。
  http://baike.baidu.com/subview/68695/11026020.htm

○『百度百科』には、「清明日对酒」項目も存在する。

      清明日对酒
   《清明日对酒》是高翥创作于南宋的诗词。
  http://baike.baidu.com/subview/8236027/8158455.htm

○高翥の「清明日対酒」詩を読むと、高翥が如何にも詩人らしい詩人であることに感心する。それは高翥がよく詩を勉強しているからにほかならない。詩とはこういうふうに作るのだろうし、詩人とはこういうふうに存在するものなのだろう。

○高翥は余姚の人であると言う。これまで余姚には王陽明や朱舜水の足跡を尋ねて、3回ほど訪れている。高翥は王陽明より三百年ほど前の人で、朱舜水より四百年ほど昔の詩人である。

○清明節寒食節文学が詩や詩人に与える影響は、頗る大きいと言えよう。清明節寒食節文学に学ぶことは多い。

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