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鄭准:江南清明

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○清明節寒食節文学の70番目として、韋荘の「長安清明」詩を紹介した後、張籍の「同錦州胡郎中清明日對雨西亭宴」詩、張繼の「清明日自西午橋至瓜岩村有懷」詩と案内して来た。73番目として今回紹介するのは、鄭准の「江南清明」詩である。

  【原文】
      江南清明
        鄭准
    吳山楚驛四年中
    一見清明一改容
    旅恨共風連夜起
    韶光隨酒著人濃
    延興門外攀花別
    采石江頭帶雨逢
    無限歸心何計是
    路邊戈甲正重重

  【書き下し文】
      江南の清明
        鄭准
    楚駅の呉山に、四年も中ると、
    清明を一見すれば、一改容す。
    旅の恨みは風と共に、連夜起き、
    韶光は酒に随ひ、人に着きて濃し。
    延興門の外、花を攀みて別れ、
    採石江の頭、雨を帯ぶに逢ふ。
    限り無き帰心は、何ぞ是れ計らん、
    路辺の戈甲は、正に重重たり。

  【我が儘勝手な私訳】
    楚の宿駅の一つである杭州に四年も住んでいると、
    清明節が訪れることで、杭州の全てが一変するのを知る。
    郷愁の想いは春風とともに、毎晩訪れ、
    故郷の美しい風景は酒に酔うとともに、私から離れようとはしない。
    そう言えば、長安城の東南、延興門の外で、清明節日に、花を摘んで別れたし、
    長江の采石江の畔で、雨の中で清明節日を迎えた記憶が甦った。。
    帰郷の願いはこの上なく、それは計り知れないものであるのに、
    この杭州から都、長安までの道中には、戦乱が続いてとても行けるものではない。

○鄭准は日本では馴染みの無い詩人である。それは中国でも同じであるらしく、『百度百科』が載せる鄭准項目は、極めて簡素な記事となっている。

      郑准(唐代政治人物)
   郑准(公元?年至九o三年前不久)字不欺,里居及生年均不详,约卒于唐昭宗天复三年前不久。登
  乾宁进士。为荆南节皮成汭推官。后与汭不合,为所害。准著有渚宫集一卷,《新唐书艺文志》传于世。
  http://baike.baidu.com/subview/223655/10756130.htm#viewPageContent

○それでも、鄭准が何とも詩人らしい詩人であることに驚く。詩人には詩人の矜恃があって、詩人は何時でも何処でも詩人でなくてはならない。鄭准の「江南清明」詩を読むと、しみじみ、そう思う。

○詩人が詩人であるかどうかは、その自覚にあると言えよう。だから、ある意味、誰でも詩人たらんと欲すれば詩人になることが出来る。意外に簡単に詩人は成立するのである。ただ、それを人が認めてくれるかどうかは判らないかれども。

○「オラはゴッホになるだ」と息巻いた版画家が居たが、そういう意味では、彼の宣言は正しい。彼が「オラはゴッホになるだ」と言った時点で、彼は既に芸術家である。なかなか宣言出来ない言葉ではあるけれども。世の中には、生まれてすぐに、「天上天下唯我独尊」と宣言なさった方もいらっしゃると言う。

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