○長々と邪馬台国に寄り道してしまったが、再度、本題の『肝属町の三岳参り』に帰りたい。今回検証するのは、『かもつきのあひら』についてである。
○もっとも、『かもつきのあひら』については、これまで幾度となく検証を繰り返している。
・書庫「狗奴国・救仁国の風景」:ブログ『かもつきのあひら』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/36169410.html
・書庫「「おしえて邪馬台国」の不思議」:ブログ『かもつきのあひら』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/39083092.html
・書庫「日向国の邪馬台国」:ブログ『かもつきのあいら』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40241198.html
○同じことを何度も繰り返して案内しているかのように思われるかも知れない。しかし、実際は、切り口が違っていたり、方向性が別であったりして、まるで違う話をしている。同じ『かもつきのあひら』なのだが、切り口や方向性が違うと、全く異なる顔を見せるから面白い。
○これらの検証で明らかにしているように、「きもつき」には、『肝属』や『肝付』、『肝杯』などの漢字表記が存在するが、どの字も「きもつき」がどういう意味であるかを説明してはくれない。「きもつき」が案内する意味内容は皆目不明と言うしかない。
○同じ意味で、大隅国建国以来、大隅国には肝属郡が存在するから、肝属郡を追求すれば「きもつき」地名が見えて来る気がするけれども、肝心の肝属郡地名そのものが揺らいでいるから、とんと要領を得ない。なかなか肝属地名は手強い。
○結局、自力に頼るしかない。そう考えると、「きもつき」地名は枕詞だとするのが、もっともしっくりする。どういうことかと言うと、次のような話となる。
●「きもつき」地名は、古代以来、不動の地名である。それなら相当由緒正しい地名だと言うしかない。そういう多くの地名が枕詞に関係することは多い。逆に言うと、枕詞関係の地名は、意味不明の地名となりやすいのである。
●例を挙げると、「飛鳥」の文字を『あすか』と読むことは、枕詞を理解していない限り不可能だろう。もともと、「飛鳥」の文字は『あすか』とは読めない。それが「とぶとりのあすか」と言う枕詞で『あすか』と読むことが可能になっている。
●そういう意味では「きもつき」はもっと難しい。ただ、「きもつき」地域でもっとも有名で神聖な場所があって、そこを「あひら」と言う。嘗ては「姶羅」や「吾平」の文字を当てていたが、「あ・ひら」と「あひ・ら」ではまるで意味が違う。
●ただ、それが吾平山陵から誕生した地名だとすれば、実際、吾平山陵を参考にすれば、自ずから「あ・ひら」なのか、それとも「あひ・ら」なのかが判るはずである。鹿児島県鹿屋市吾平町上名に存在する吾平山上陵を実見すれば、吾平山上陵は、もともと「あひ・ら」であって、「あ・ひら」では無いことが判る。
●吾平山上陵の本質は、山の名では無いところにある。それは吾平山上陵を訪問しない限り、理解出来ない。神代三山陵のうち、可愛山陵も高屋山陵も山上陵なのだが、吾平山陵だけは吾平山上陵と言いながら、山上陵では無い。それは河合となっているところが吾平山上陵と呼ばれている。
◎おそらく、それが「かもつきのあひら」の名義であろう。どういうことかと言うと、秋の終わり、冬の始まりになると、それまで何も無かった河合の石原に、突然、たくさんの鳥が飛来する。その数は10羽とか20羽とか言う数では無い。何百羽とか何千羽もの鳥が、ある日、突然、何の理由もなく飛んで来るのである。近くに在住する人々の驚きは計り知れない。
◎そこに神意を感じない人は居ない。誰もが驚き、畏敬し、深く恐れた。それで、そこに鳥居を建て、神域とし、人が近付かないようにした。
◎判るように、「かもつきのあひら」は、もともと普通名詞なのである。そういうところの一つに、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊を齋き祀り、そこを御陵とした。それが吾平山上陵なのである。それでやっと吾平山上陵は固有名詞となった。
◎出雲国では「神奈月」を「神無月」とし、「神有月」などとも称するらしいが、もともと「神奈月」は「神の月」の意であって、「神無月」ではない。まさしく「神が出現する月」が「神奈月」の原義なのである。「神奈月」を説明するには「かもつきのあひら」がぴったりである。本来、枕詞と言うのは、そういうものなのである。
◎平成の大合併によって、肝付町が成立した。
肝付町
肝付町(きもつきちょう)は、鹿児島県本土の東南部、大隅半島の東部にある町であり、肝属郡に
属する。ロケット打ち上げ施設(内之浦宇宙空間観測所)があることで有名。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%9D%E4%BB%98%E7%94%BA
◎肝付町は『肝属』や『肝杯』ではなく、『肝付』の名を町名に選択している。一番分かり易い字ではあるけれども、流れる川は肝属川のままである。隣県に住む私には、何と言っても『肝属』の方が馴染みがあり、親近感が湧く。それに鹿児島には『肝属』さんもいらっしゃる。年寄りの私には、どう考えても「きもつき」は『肝属』だろうと言いたくなる。
◎「かもつきのあひら」には、日本神社様式の原型がある。鳥居をくぐって玉砂利の参道を歩いてお参りする形がここから発生したことは間違いない。現在では何処の社でも鳥居を建て、玉砂利を敷く。それが何を意味するかは理解していないにも拘わらず。
◎彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御代から存在するのが「かもつきのあひら」である。齋き祀る社は鵜戸神社と申し上げる。もともと吾平山上陵の東側に存在したが災害に見舞われ、現在地に遷座している。住所は鹿屋市吾平町麓字宮ノ前。
◎吾平山上陵は孤立して存在するはずが無い。そういう意味で、白尾國柱が「麑藩名勝考」で説く『高屋山陵=鹿児島県肝属町内之浦国見山』説は説得力がある。更にそれを発展させれば、『可愛山陵=鹿児島県肝属町内之浦甫与志岳(叶岳)』とするしかない。それが真実の神代三山陵なのである。
◎「かもつきのあひら」が彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の御陵であることから、真実の神代三山陵が見えてくる。真実の神代三山陵が見えてくると、今度は神代三山陵の先坣僑位が出現する。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『神代三山陵の先坣僑位』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40406401.html
◎日向国を発掘すると、面白い。いくらでも不思議なものが出現する。こんなところは他所にはない。何故なら、ここは日向神話の故郷なのだから。日本の古代を理解するには日向国を訪れるしかない。