○鹿児島で「三岳」と言えば焼酎の名である。焼酎好きなら誰でも知っている屋久島の焼酎である。なかなか手に入らない焼酎としても有名である。
○焼酎「三岳」は屋久島三山信仰の名をいただいたものである。屋久島三山とは、
・宮之浦岳(1936叩
・永田岳(1886叩
・黒味岳(1831叩
を指す。いずれの山も名山である。
○屋久島の山が面白いところは、島の集落の名を冠した山名となっているところである。昔はそれぞれの集落からその集落の名を冠した山まで登り、お参りする風習があったと言う。そのことは江戸時代の「三国名勝図會」が記録していることでもある。
○こういう風習を見ると、三山信仰の原初の形態がどういうものであったかが判る。屋久島最大の集落である宮之浦の名を冠した山が宮之浦岳(1936叩砲任△襪海箸判るし、安房集落の山が安房岳(1847叩砲任△蝓永田集落の山が永田岳(1886叩砲噺世Δ海箸砲覆襦
○屋久島では、宮之浦岳(1936叩砲ら宮之浦集落へ流れ注ぐ川が宮之浦川であり、安房岳(1847叩砲ら安房集落へ流れ注ぐ川が安房川であり、栗生岳(1867叩砲ら栗生集落へ流れ注ぐ川が栗生川であり、永田岳(1886叩砲ら永田集落へ流れ注ぐ川が永田川である。頗る判り易い山名であり川名であり、集落名となっている。
●鹿児島から屋久島へ行く途中、右手の洋上に存在するのが硫黄島である。屋久島の一湊集落や永田集落あたりからも硫黄島を望むことが出来る。その硫黄島にも硫黄島三山が存在する。
・硫黄岳(704叩
・矢筈岳(349叩
・稲村岳(238叩
●硫黄島三山は、南国のローカルな山だと思われるかも知れない。しかし、ここが嘗て『舎衞』と呼ばれた島であることを考慮すれば、日本仏教の始原の地だと言うしかない。そういう意味では、日本修験道発祥の地であることは間違いない。硫黄島が『舎衞』であることについては、以下をご覧いただきたい。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『硫黄島が舎衞国であること』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40465782.html
●硫黄島が日本修験道発祥の地であることなど、誰も発言しない。しかし、奈良県の大峰山へ参詣すれば判ることだが、大峰信仰、つまり吉野信仰、言い換えると修験道の聖地と硫黄島の風景とは、全く一緒であることに驚く。
●大峰山(山上ケ岳)の隣には稲村ケ岳が存在する。ところが稲村ケ岳に竹が群生しているわけでもない。稲村ケ岳の名を稲村ケ岳で説明することは難しい。同じように、大峰山(山上ケ岳)の隣には大天井ケ岳が屹立している。何とも仰々しい山名であるけれども、大天井ケ岳の名も大天井ケ岳で説明することは無理である。
●それに大峰山では大峰山(山上ケ岳:1719叩砲茲蠅皸霏璽嘘戞複隠沓横境叩砲諒標高が高いのである。それにも拘わらず、何故か大峰山では、大峰山(山上ケ岳:1719叩砲諒鮨仰の中心として敬っている。
●それは、大峰信仰がもともと大峰山を中心としたものであったに他ならない。つまり、大峰信仰は大峰山で発生したものではなく、他所から勧請されて来たものであることが判る。そのもともとの形をそのまま敬っているのが大峰山であることが判る。
●もっとも、現在の大峰山は肝心の三山信仰を完全に見失っている。現在の大峰山で三山信仰を唱える人は居ない。ちなみに、大峰山の三山信仰は、次のようになる。
・大峰山(山上ケ岳:1719叩
・稲村ケ岳(1726叩
・大天井ケ岳(1438叩
●このことについても詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『甦る卑弥呼:大峰・吉野信仰』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40457667.html
◎他にも日向国各所に三山信仰は存在する。その一つが肝属町の三岳参りともなっている。ただ、日本に於ける三山信仰の最大と言えるものが邪馬台国三山であることは言うまでもあるまい。そのレプリカが奈良県橿原市に存在し、大和三山として知られる。
・畝傍山(198、5叩
・香具山(152叩
・耳成山(139、3叩
◎大和三山をもっともよく伝えるのは「万葉集」である。その「万葉集」を読むと、奈良県の大和三山では説明出来ない表現が幾つも出現して、読者を途惑わせる。万葉学者先生は悪戦苦闘してそれを説明なさっているけれども、奈良県の大和三山で「万葉集」の表現を説明することは誰にも出来ない。
◎何故なら、「万葉集」の表現は、もともとの大和三山を詠ったものであるからである。奈良県の大和三山とかもともとの大和三山とか言うと、何とも紛らわしい。それで、私はもともとの大和三山を邪馬台国三山と呼んで区別している。邪馬台国三山とは、次のものを指す。
・うねびやま=霧島山(1700叩
・あまのかぐやま=桜島山(1117叩
・みみなしやま=開聞岳(924叩
◎そんな話は聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。ただ、言えることは「うねびやま」の名を奈良県で説明することは誰にも出来ない。しかし、日向国ではきれいに説明出来る。同じように、「あまのかぐやま」も「みみなしやま」も大和国では説明出来ないのに、日向国では説明出来る。どちらが本物の大和三山であるかは誰が考えても判ることである。
◎日向国の万葉学は凄まじい。枕詞に「天降り付く」と言う枕詞がある。大和国では説明不可能な枕詞として知られる。日向国の万葉学ではきれいに説明出来る。これが日向国の万葉学の実力である。詳しくは以下を参照されたい。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『天降付く天の香具山』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40429580.html
◎枕詞「天降り付く」が案内するところが香具山であることは、誰が考えても判ることである。それが言葉の力と言うものである。大和三山は決して大和国では説明出来ない。
◎判るように、三山信仰はもともと日向国のものである。他にも各所に三山信仰の痕跡を見ることができる。そんなところは日本中探しても日向国だけであろう。
◎肝属町の三岳参りも、本当は、そういうふうに考えるべきものであるに違いない。なかなか肝属町の三岳参りの歴史は古い。