○出雲神の故郷は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島だとするしかない。
・書庫「肝属町の三岳参り」:ブログ『出雲神の故郷』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40438875.html
○出雲神の故郷が出雲国で無いことに驚く。しかし、実際、大和国を訪れてみると判ることだが、大和国を領知しているのが天皇家の神々では無く、出雲神であることに驚かされる。それは大和国を歩いてみての感想でもある。
・書庫「山の辺の道」:ブログ『出雲神の歩いた道』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35848835.html
○出雲神の故郷が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である決定的根拠は、硫黄島から眺める邪馬台国三山の風景が、大和国一宮である大神神社のご神体である三輪山から眺める大和三山と全く同じであることだろう。こんな偶然はあり得ない。何度も硫黄島を訪れ、何度も大和三山へ登った結果、得た事実である。
●前回、その出雲神を更に遡行することは可能か、と言う話をした。日本の出雲神自体は硫黄島がその故郷だと言うしかない。しかし、出雲神そのものは神仏混淆の神であり仏様なのであるから、更に遡ることは可能だろう。
●と言うか、もともと仏教は中国から日本へ伝来した宗教である。名前は出雲神では無いけれども、宗教そのものは中国伝来のものとするしかない。そう考えると、出雲神は中国浙江省舟山群島普陀山へ達するのである。前回、そのルート案内をすることを失念していたので、次に掲げておく。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→トカラ列島宝島(600辧
・トカラ列島宝島→トカラ列島悪石島(50辧
・トカラ列島悪石島→トカラ列島諏訪之瀬島(24辧
・トカラ列島諏訪之瀬島→トカラ列島中之島(28辧
・トカラ列島中之島→トカラ列島口之島(14辧
・トカラ列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→邪馬台国(56辧
●ブログ『出雲神遡行』で遡ったところは、中国浙江省舟山群島普陀山であった。前回写真で紹介したように、普陀山には磐座崇拝の痕跡がきれいに残っている。それは村井康彦が「出雲と大和」(2013年刊:岩波新書)で案内した通りの風景である。そういう意味で、出雲神は中国浙江省舟山群島普陀山へ上陸することができる。
◎今回、ここで『更に出雲神遡行』と題して案内するのは、上記のルートに従えば、当然、寧波であり、会稽あたりの話でなくてはならない。これまで寧波には5回、会稽にも4回訪問しているから、結構、寧波や会稽には詳しい。
◎上記ルート案内にあるように、舟山群島普陀山から寧波までは、およそ150劼任△襦0柄阿鷲畭忙海ら寧波までの直行船があったが、現在は無くなっている。したがって、普陀山から寧波へは舟山経由で行くしかない。
◎中国で普陀山は有名である。もちろん、誰でも知っている地名である。中国四大仏教名山の一つであり、観音菩薩の霊場となっている。なかなか日本ではそういうことが理解されていない。
◎これまで、寧波とその周辺の寺として、天童寺や阿育王寺、保国寺、七塔禅寺、延慶寺、雪竇山、天台山などへ参詣してきている。おおよそ、有名な寺には参拝しているつもりである。
◎その寧波から更に100卆召惴ったところが会稽である。現在は紹興市となっている。何しろ会稽の歴史は古い。
越
越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前334年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽
(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、
長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。越は楚、呉など長江文明を築いた流れを
汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。
『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を
述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A
◎この越国の都が会稽である。相当古い時代からここは越国の中心であった。これまで会稽にも4回訪れているが、会稽で古いお寺と言えば、何と言っても若耶溪の雲門寺だろう。
・書庫「天上仙都:紹興」:ブログ『紹興:雲門寺』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37770743.html
・書庫「天上仙都:紹興」:ブログ『紹興:雲門寺参拝』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37774045.html
◎また、会稽と言えば王羲之の『蘭亭序』も忘れることができない。王羲之は道士である。その王羲之の別荘が蘭亭である。『蘭亭序』が道教の教えそのものであることを理解している人は少ない。
・書庫「舜禹之都:紹興・上虞」:ブログ『蘭亭序』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37337420.html
◎併せて、この時代、杭州にも仏教文化が花開いている。そういう杭州や寧波の代表的大寺が中国五山だとも言えよう。
班位 位 次 寺 名 寺号・具名 位置 状態
五山 第1位 径山寺 径山興聖万寿禅寺 杭州余杭 現存
五山 第2位 霊隠寺 北山景徳霊隠禅寺 杭州 現存
五山 第3位 天童寺 太白山天童景徳禅寺 寧波 現存
五山 第4位 浄慈寺 南山浄慈報恩光孝禅寺 杭州 現存
五山 第5位 阿育王寺 阿育王山広利禅寺 寧波 現存
◎中国五山には、全て参詣済みである。現在、これらの諸寺は全て禅寺となっているが、その歴史は古く、禅宗の前の仏寺としての歴史が存在することは言うまでも無い。
◎こういうふうに、寧波や会稽、杭州の代表的大寺には、ほとんど参詣を済ませている。参拝してみると判ることだが、これらの寺の多くに観音信仰の痕跡を見ることができるし、磐座崇拝の痕跡を見る。そして、いずれの寺にも神仏混淆の影を見る。
◎つまり、寧波や会稽、杭州の代表的大寺には、色濃く出雲神の形跡が見えると言うしかないのである。おそらく、それは参詣しない限り、理解されないことでもある。