○日本への仏教伝来の話を続けているが、日本創世期というのは意外に新しいのではないか。最近、そういう気がしてならない。それは日本最古の史書とされる「古事記」「日本書紀」を読み直しての感想でもある。
○「古事記」と「日本書紀」がともに、日本創世を日向神話として描いていることは、注目に値する。その第一歩が天孫降臨神話であることは間違いない。天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発声した一声が、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
であることは見逃せない。直訳すれば、
・彦火瓊々杵尊が天孫降臨した日向国襲之高千穂之峯と言うのは、中国に直結するところであり、
笠沙の御前から朝日が昇り、笠島の海に夕日が沈むところで、最高の土地である。
とでもなるのだろうか。
○三世紀の中国の正史「三国志」の一部である『魏志倭人伝』が倭国の女王を『卑弥呼』と表記していることは興味深い。卑弥呼の宗教を『魏志倭人伝』では「卑弥呼の鬼道」だとする。それは「三国志」の編者である陳寿に「鬼道」と映ったのであろう。
●ただ、それは蜀国出身で、その後、晋国に仕えた陳寿にそう思えたことに着目すべきだろう。同じ中国でも、中国は広いのである。中国の東と西とでは、文化も人種も生活習慣も言葉もまるで違う。それは国が違う以上に異なる。それは現在の中国でも同じことである。
●その中国に、中国四大仏教名山と言うのが存在する。
・山西省五台県の五台山 - 文殊菩薩の霊場
・四川省峨眉山市の峨眉山 - 普賢菩薩の霊場
・安徽省青陽県の九華山 - 地蔵菩薩の霊場
・浙江省舟山市の普陀山 - 観音菩薩の霊場
●ある意味、この中国四大仏教名山は中国の東西南北の仏教聖地と呼んで良いのかもしれない。
・北=五台山
・西=峨眉山
・南=九華山
・東=普陀山
●「三国志」の時代、仏教は中国に於いて、未だ新興宗教の部類に属した。中国に仏教が伝来したのは紀元前後だ言う。中国で最古の寺院とされる洛陽の白馬寺が建立されたのが後漢の明帝(在位:57年~75年)だとされる。つまり、三国時代(220~280)から200年ほど昔のことである。
●陳寿の母国、蜀国はチベットに近い。だから、早くに仏教が伝来していたものと思われる。中国四大仏教名山の一つ、四川省の峨眉山は蜀国である。
◎「三国志」の編者、陳寿が生まれたのは、現在の四川省南充市で、西暦233年だと言う。蜀国の滅亡は西暦263年のことである。当時、陳寿は30歳であった。
◎蜀国滅亡の際、降伏を呼び掛けたのが陳寿の師であった譙周である。譙周は蜀国に降伏を勧めた為、蜀国での評価は頗る悪い。しかし、それが大英断であったことは間違いない。ある意味、師の譙周が大英断してくれたお陰で、史家陳寿が誕生したわけでもある。
◎その後、陳寿は西晋に仕え、「三国志」を書いた。その「三国志」の巻三十の一部が『魏志倭人伝』である。つまり、蜀国の人であった陳寿にとって、倭国と言うのは、東海の果ての国であって、まさに陳寿にとって、正反対の国であったことが判る。
◎その陳寿が、まるで見知らない東海の絶海の孤島とも言える倭国を、極めて好意的に書いていることに驚く。何より、倭国三十国を正確に描いてみせる、その手法は尋常では無い。もちろん、これが『魏志倭人伝』の主題であることは言うまでも無い。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
◎こういう史家は只者では無いから、十分用心して読む必要がある。そうやってよくよく『魏志倭人伝』を読むと、上記の『魏志倭人伝』の主題が記述されている主要部分は、『魏志倭人伝』の上段であって、その字数は556字に過ぎない。
◎『魏志倭人伝』の残りの中段827字と下段601字にも当然、記述意図が存在するわけである。そのうち、下段601字の内容は、明らかに魏国と倭国との通交となっている。だから、問題となるのは、中段827字が案内する内容だと判る。
◎ただ、『魏志倭人伝』中段827字には種々雑多な内容が存在していて、そこからその中心内容を読み取ることは容易なことではない。一般には、倭国の様子を描いているのが『魏志倭人伝』中段だとされる。もちろん、倭国の女王、卑弥呼の名が初めて出現するのもこの中段である。
◎驚くべきことに、『魏志倭人伝』で、倭国の女王卑弥呼の名は、なかなか登場しない。卑弥呼の名が登場するのは、『魏志倭人伝』全文1984字のうち、前から1241字目からとなっている。『魏志倭人伝』1984字の中に、卑弥呼の名は全部で5回登場する。
◎その卑弥呼は倭国の女王である。その割には、卑弥呼の肖像がしっかり書かれているわけではない。『魏志倭人伝』が記述する卑弥呼の肖像は、せいぜい、これくらいであることに驚く。
・乃共立一女子為王。名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫婿。有男弟佐治國。
自為王以來、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、
城柵嚴設、常有人持兵守衛。
◎『魏志倭人伝』下段に描かれている卑弥呼は、次の通り。
・景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。
其年十二月、詔書報倭女王曰「制詔親魏倭王卑彌呼。
・今以汝為親魏倭王、假金印紫綬。
・倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊狀。
遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黃幢、拜假難升米為檄告喩之。
・卑彌呼以死、大作冢、徑百餘步、徇葬者奴婢百餘人。
・復立卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定。
◎つまり、卑弥呼の名は『魏志倭人伝』中段に1回、下段に4回出ている。これが卑弥呼の名の全表現である。わずかこれだけの表現から、卑弥呼の肖像を描き出すことは至難の業と言うしかない。
◎ただ、時代は500年ばかり下るけれども、日本最古の史書とされる「古事記」「日本書紀」が描く日本創世の時代と、『魏志倭人伝』の記述内容が見事に一致するのに驚く。
◎その場所が日向国と称されるところであることに注目したい。「日向=ひむか」は頗る気になる国名である。誰もその内容に言及しないけれども、「日向=ひむか」国名が太陽崇拝の意であることは間違いない。つまり、卑弥呼の鬼道が仏教であり、太陽崇拝であったことを意味する。
◎それなら、「卑弥呼=ひむか」も容易に推測される人名である。卑弥呼の名については、日御子だとか日巫女だとかいろいろ言われているけれども、「卑弥呼=ひむか=日向」ほどの説得力は無い。それが日本創世の国名であれば、尚更のことである。だから、日本創世は日向神話から始まっているのである。