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現代に生きる卑弥呼

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○前回、「卑弥呼=ひむか=日向」と題して、卑弥呼の読みが「ひむか」であって、その「ひむか」から「日向」国名が誕生したと言う話をした。卑弥呼は三世紀に日本に実在した倭国の女王である。そのことは中国の正史「三国志」が記録していることであるから、これほど確かなことはない。

○日本創世期は、日向神話から始まっている。その始まりが天孫降臨神話であり、天孫降臨した神の名は、彦火瓊々杵尊と申し上げる。日向神話の時代は彦火瓊々杵尊から彦火火出見尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と続く。この三神を神代三代と申し上げ、その御陵が神代三代陵と言うことになる。

○神代三代がどれくらい続いたか。ご存じだろうか。「日本書紀」に拠れば、その時代は『一百七十九萬二千四百七十余歳』だと言う。彦火瓊々杵尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、親子孫の関係にあるのに、それが『一百七十九萬二千四百七十余歳』だと言うのであれば、人間であるはずがない。平均寿命は六十萬年と言う話なのだから。

○もっとも、日向神話と言って、神話の話だし、神様の話であるから、当然、とんでもない話が飛び出す。それでも、『一百七十九萬二千四百七十余歳』と言うのは、あまりに非現実的で、途方も無い数字である。その割には、日向神話の内容は決して充実したものとはなっていない。

●「三国志(魏志倭人伝)」が言うように、三世紀に卑弥呼が日向国に存在したとすれば、意外に日本の歴史は新しいことになる。日向国で卑弥呼を追い続けると、硫黄島に到達するしかない。硫黄島が「舎衛」であって、「八雲立つ出雲」である以上、卑弥呼が硫黄島以外に存在することの方が難しい。

●「魏志倭人伝」が記録する、
  ・乃共立一女子為王。名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫婿。有男弟佐治國。
   自為王以來、少有見者。以婢千人自侍。唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、
   城柵嚴設、常有人持兵守衛。
にしたところで、硫黄島であればピッタリ合致する。硫黄島は「舎衛」と呼ばれたほどの仏教聖地であり、硫黄島三山(硫黄岳・稲村岳・矢筈岳)を勧請したのが吉野三山(山上ケ岳・稲村ケ岳・大天井ケ岳)であることもはっきりしている。

●それに、卑弥呼が硫黄島に常住していたのであれば、「自為王以來、少有見者」ことは当たり前のことだし、「以婢千人自侍」と言う人口も、硫黄島には相応しい。

●何より、硫黄島が日本中の仏教の聖地であり、神道の聖地であることが最大の理由だといえる。このことについては、これまで何度も論じて来ている。幾つか例を挙げるとして、まず、硫黄島の神として挙げるべきは、大山祇神だと言うしかない。

●何故、大山祇神が筆頭かと言うと、大山祇神は日本の国母であるからに他ならない。大山祇神の娘が木花開耶姫命で、木花開耶姫命が結婚したのが天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊と言うことになっている。大山祇神を男神と勘違いする方もいらっしゃるけれども、大山祇神が女神であることは間違いない。日本ではそれこそ神代の時代から、山の神は女神と決まっている。詳しくは以下を参照されたい。
  ・書庫「硫黄島」:ブログ『三島神』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33799344.html

●次に挙げるべきは出雲神の存在である。出雲神ほど日本中に祀られている神も珍しい。出雲神と言うくらいだから、誰もが出雲神の故郷は出雲国だと信じて疑わない。

●しかし、出雲国の何処を訪れても、『八雲立つ』出雲の風景を見ることはできない。枕詞『八雲立つ』出雲の風景を見ることの出来るところが出雲神の故郷であることは言うまでもあるまい。そのヒントは出雲の神々の出自を辿ることである。

●出雲の神々の出自を辿ると、皆が素戔嗚尊(須佐之男命)へ帰結する。素戔嗚尊は追放された神である。もともと天上界の神であったのに、何故か、何時の間にか、地上界へ舞い降り、出雲国へ出現する。それが出雲神話となっている。

●そういう出雲神話の舞台が現在の出雲国である。ただ、出雲地名はどうも現在の出雲国のものでは無いようである。それは大和地名が現在の大和国の地名で無いのと同じである。

●そういうふうに出雲地名を追い続けると鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ到達する。ここでは完璧に『八雲立つ』出雲の風景を説明することが出来る。と言うか、説明など要らない。硫黄島では、一見して、誰でも何時でも、『八雲立つ』出雲の風景を了解できるのである。詳しくは、以下を参照されたい。
  ・書庫「硫黄島」:ブログ『八雲立つ出雲』
  http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/33764795.html

◎卑弥呼は現在でも日本中で祀られている神様であり、佛様である。代表的な神様だけでも、
  ・出雲大社(出雲国一の宮)
  ・大山祇神社(大三島:伊予国一の宮)
  ・三嶋大社(伊豆国一の宮)
  ・大神神社(大和国一の宮)
  ・賀茂上神社(賀茂別雷神社)及び下鴨神社(賀茂御祖神社)(山城国一の宮)
  ・富士山本宮浅間大社(駿河国一の宮)
  ・浅間神社(甲斐国一の宮)
  ・都農神社(日向国一の宮)
  ・厳島神社(安芸国一の宮)
  ・都久夫須麻神社(竹生島神社)
  ・天河大弁財天社(大和国天川村)
  ・正一位笠島道祖神(宮城県名取市愛島笠島)
  ・江島神社(神奈川県藤沢市)
  ・金峰神社(大和国吉野山)
と、幾らでも挙げることができる。

◎また、佛様としては、日本三大辯才天が知られる。
      日本三大弁天
   日本三大弁天(にほんさんだいべんてん)は弁才天を祀る以下の三寺社をいう。
     ・宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)
     ・江島神社 (神奈川県 江の島)
     ・厳島神社 (広島県 厳島)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%BC%81%E5%A4%A9

◎しかし、本来、日本三大辯才天は次の三寺社とするのが普通である。
  ・竹生島:都久夫須麻神社・宝厳寺
  ・宮島:厳島神社・大願寺
  ・天川村:天河大弁財天社・白飯寺

◎本ブログでは、なるだけ多くのこういう寺社を訪問し、そのことを確認している。現代でも、日本中に齋き祀られている神であり仏が卑弥呼だと言えよう。ニーチェは「神は死んだ」と言うけれども、どっこい、日本では未だに卑弥呼は生きている。

◎歴史を紐解くと言うのは、こういうことを指す。卑弥呼が日本歴史上、これほど重要な位置に存在することを誰もご存じ無い。恐るべし、卑弥呼。

◎また、そういう人物をしっかり「三国志」が記録してくれていることに驚く。陳寿と言う史家はとんでも無い男である。彼が生きたのは卑弥呼と同時代で、三世紀のことである。今から1700年も昔の話である。

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