○日本創世の話を続けているが、今回は木花之佐久夜毘売命について考えてみたい。ウィキペディアフリー百科事典が案内する木花之佐久夜毘売命は、次の通り。
コノハナノサクヤビメ
コノハナノサクヤビメ(ヒメ)は、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。
また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビ
メ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもある。『古事記』では神阿多都比
売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナ
ノサクヤビメは別名としている。
天照大神(アマテラス)の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。オオヤマツミ
(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)がいる。ニニ
ギノミコトの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1
○上記説明にもあるように、木花之佐久夜毘売命は大山祇神の娘とされ、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊
の妻となった。そういう意味では、木花之佐久夜毘売命は間違いなく、日本の国母である。
○彦火瓊々杵尊と木花之佐久夜毘売命の出遭いの場所について、「古事記」は『笠沙の御前』とし、「日本書紀」では『吾田の長屋の笠狭碕』とする。日向神話に拠れば、彦火瓊々杵尊と木花之佐久夜毘売命の二人から皇孫が誕生していることになっている。その二人が存在したところが何処であるかは、日本の歴史に於いて、極めて大事な要件となる。
○鹿児島県には嘗て笠沙町が存在した。ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。
笠沙町
笠沙町(かささちょう)は、鹿児島県川辺郡の南西にあった町である。2005年11月7日、加世田
市・大浦町・坊津町・金峰町と合併し、南さつま市となった。
黒瀬杜氏に「一どん」と「黒瀬杜氏」と言う芋焼酎がある。
【町名の由来】
「古事記」天孫降臨の段に登場する「笠沙之御前」(笠沙の岬)に因む。町名になる以前には、こ
の一帯に「笠沙」という地名は、字名としても広域地名としても存在しなかったが、多くの伝承や逸
話がこの当たり一帯を指し示しており、歴史的な研究の対象地名とも重なる地域である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%B2%99%E7%94%BA
○こういう地名には、十分注意を要する。いわゆる造作された地名となっている。問題は「古事記」や「日本書紀」が記す『笠沙の御前』及び『吾田の長屋の笠狭碕』がどういう意味で命名された名であるかを理解することだろう。それは、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発声した一声、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
に関係することが間違いない。
○この彦火瓊々杵尊の詔をよくよく考えて欲しい。この詔はある意味、日本人の祖先が地上に出現して最初に発言した言葉だと言うことである。この中に『笠沙の御前』は登場するのである。
○しかし、この詔には、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
とあるのである。つまり、天孫降臨の地、高千穂峯は、
ヾ攅颪妨ひ、
笠沙の御前を真来通りて、
D日の直刺す国、
ね柴瞭箸觜颪覆蝓
と言うことだろう。ここで言う『韓国』は、決して朝鮮半島を指すのではない。中国本土を意味する言葉である。
○上記の『笠沙町』の町名由来にあるように、旧笠沙町に笠沙地名由来が存在したわけではない。単に学問上の問題で、此処が笠沙に比定されたに過ぎない。それが世間の波に呑み込まれて笠沙町が誕生したわけである。
○しかし、「古事記」や「日本書紀」を読む限り、旧笠沙町が笠沙である可能性は低い。何故なら、旧笠沙町であっては、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
の表現に合致しないからである。旧笠沙町で『韓国に向かひ』表現は、近いとは言えるけれども、ぴったり合っているわけではない。
○それに、『笠沙の御前を真来通りて』が、『韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて』であるとすれば、笠沙が旧笠沙町であることはもっと的外れな意見であることが判る。もし、それが、『笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国』と繋がるのであれば、旧笠沙町は完全に旧笠沙町ではない。
○取り敢えず、この言葉が発せられた場所で、この言葉の真意を探ろうと努力することだろう。その場所すら、現在の日本の歴史学では明らかにされていないのが現状である。現代の日本の史学では基本的に神話は扱わない。神話は空想の産物だと片付けて問題にしないのが現代の日本の史学だから、天孫降臨の世界山などを認めることはしない。
○ところが、日向国を訪れると、今でも天孫降臨の世界山は神々しい御姿でまします。天孫降臨の世界山が何処であるかを知るには「古事記」と「日本書紀」の全記録を突き詰めるしかない。その全記録は、次のようになる。
「古事記」 竺紫日向之高千穂之久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)
「日本書紀」本文 日向襲之高千穂峯(ひむかのそのたかちほのたけ)
槵日二上天浮橋(くしひのふたがみのあまのうきはし)
一書 |淹臚眄虔槵觸之峯(つくしのひむかのたかちほのくじふるのたけ)
一書◆‘槵日高千穂之峯(ひむかのくしひのたかちほのたけ)
一書 日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋(ひむかのそのたかちほのくしひのふたがみの たけのあまのうきはし)
一書ぁ‘映傾眄虔翕沙格覆劼爐のそのたかちほのそほりのやまのたけ)
○この全記録に該当するところが天孫降臨の地になる。それを条件化すれば、次のようになる。
ー鎧隋紛綵)の日向(国)に存在する。
高千穂と言う名の山である。
5彁良枸多気・槵觸・槵日之峯(先の尖った山・異形の山・火の山・日に輝く山)である。
て聞顱暴院ε困紡減澆垢觧海任△襦
テ鷯緤併劃困二つある山)である。
ε敬盒供米里茲Δ謀袈坊劼った山)である。
○こういう条件の全てに当て嵌まる場所が幾つも存在することは無い。そういう規定すら為されていないのが現在の天孫降臨の地だと言うことになる。
○もっとも、それは天孫降臨の世界山で、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発声した一声、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
がどういう意味であるかを考えないからである。天孫降臨の世界山で、この詔の意味がどういうことで在るかを知れば、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発声した一声が、どんなに素晴らしい内容であるかを理解することができる。
○学者先生は、何故か、そういう肝心の作業をなさらない。だから、彦火瓊々杵尊の詔の意味するところが理解できない。せっかく、「古事記」がそういうつもりでこの詔を載せているのに。
◎天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊が地上で最初に発声した一声、
・此処は韓国に向かひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。
故、此処は甚吉き地。
の意味するところは、畢竟、次のような話になる。
鹿児島県と宮崎県との県境に霧島山が存在する。この霧島山は邪馬台国三山の一つである。ちなみ
に、邪馬台国三山とは、
・うねびやま=霧島山(1700叩
・あめのかぐやま=桜島山(1117叩
・みみなしやま=開聞岳(924叩
を指す。邪馬台国三山のレプリカが大和三山である。
その霧島山の一番南側の高峰が高千穂峯(1574叩砲任△襦L古膸骸体は26個のも山の集合
体なのである。この山がどうして天孫降臨の世界山に選ばれたかと言うと、日本創世神話成立の時代
に、この山を中心に日本国が存在していたからに他ならない。当時、日本の中心は日向国と称した。
現在の南九州になる。
南九州がどうして日本創世の中心地となり得たかと言うと、それは中国との直接交流があったから
である。それが『此処は韓国に向かひ』の意味するところである。
次に問題となるのは『笠沙の御前を真来通りて』だろう。さきに、中国から日本へのルートを案内
すると、次のようになる。
・会稽→寧波(100辧
・寧波→舟山群島(150辧
・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧
・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
・口永良部島→硫黄島(36辧
・硫黄島→邪馬台国(56辧
つまり、『笠沙の御前』がこのルートの中に存在することは間違いない。それも当時の日本の第一
歩になるのが『笠沙の御前』だと思われる。それなら、上記説明では「邪馬台国」部分に相当する。
ここで気になるのが『笠沙』地名である。『笠沙』地名はもちろん、海岸線のことであって、その
先が海であることは間違いない。
何故、『笠沙』地名が誕生したかと言うと、その先に笠島が見えるからである。笠島が見える海岸
線が笠沙であると言うしかない。笠島とは何か。それは硫黄島の別名であるし、硫黄島の枕詞だとも
言えよう。
最後に、『朝日の直刺す国』や『夕日の日照る国』も、決して無駄にあるわけではない。此処の
場所が太陽崇拝の聖地であることを意味する言葉が『朝日の直刺す国』であり『夕日の日照る国』だ
と言うことになる。だから、天孫降臨の神、彦火瓊々杵尊は此処に降臨したとおっしゃる。彦火瓊々
杵尊の詔の意味は、おおよそ、こういうことではないか。
◎また、木花之佐久夜毘売命の別名を、『日本書紀』では鹿葦津姫・神吾田津姫などとしている。気になるのは「鹿葦津姫」の名である。おそらく、「鹿葦津姫」は誤字か誤写なのではないか。理由は、木花之佐久夜毘売命の故郷付近に「鹿葦津姫」の名は合わない。可能性が高いのは、「鹿籠津姫」である。鹿籠は、現在の枕崎のことである。
◎そういう意味では、「笠沙」地名は開聞岳から枕崎坊津に至る海岸線である可能性が高い。「笠沙の御碕」も、長崎鼻・開聞埼・山立神埼・坊岬などだと思われる。したがって、旧笠沙町とは、随分離れることとなる。
◎木花之佐久夜毘売命の故郷が笠島の硫黄島や笠沙あたりだとすれば、木花之佐久夜毘売命とは椿姫のことであることは間違いない。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「無題」:ブログ『椿姫』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/9318375.html