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普陀山と小宝島

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○これまで、ブログ「普陀山と宝島」、「洛迦山と小宝島」と続けて来て、中国佛教四大名山の一つである普陀山の観音信仰の話をし、遣唐使船南島路を経由して、それが日本へもたらされ、宝島の観音信仰となったことを紹介した。

○実際には普陀山と洛迦山とが中国に存在し、宝島と小宝島とが日本へ存在する。普陀山の東5卆茲陵両紊僕豌犹海あって、宝島の東10卆茲陵両紊望宝島が存在する。もともと、観音菩薩の居るところが補陀落(補陀落山、補陀洛迦、普陀落、普陀洛とも)だとされる。それは南印度のタミル·ナードゥ州パパナサンであるとされる。

○その補陀落山を、中国では何故か普陀山と洛迦山とに分けている。併せて普陀洛迦山と言うわけなのだろう。それは普陀山だけでは中国の補陀落山は完成しないし、洛迦山だけでも完成しないと言うことなのだろう。つまり、中国の観音信仰は普陀山と洛迦山の両方で完成することを意味するに違いない。

○そのことは、実際に普陀山へ出掛けて見るとはっきりする。中国の観音信仰は普陀山から洛迦山を遙拝するところにある。現在は普通に、誰でも普陀山から洛迦山へ参詣することができるが、本来、洛迦山へ赴くことの出来るのは、極めて限られた聖人だけであった。それが宗教行事としての補陀落渡海である。

○中国普陀山では、現在、補陀落渡海信仰そのものを見失ってしまっている。ところが、日本では補陀落渡海が江戸時代まで続いていた記録が残されている。それが本来の補陀落渡海とは完全に別物に変形していることに驚く。

●今回、「普陀山と小宝島」と題したのには、訳がある。それは、中国の普陀山は中国佛教四大名山の一つとして認識されているのに対し、日本の補陀落山は小宝島に中心があると言うことに他ならない。

●中国の普陀山は、中国佛教四大名山の一つとして、年間360万人が参詣する聖地として知られるところだから、ここでは特に触れない。問題は小宝島の方である。

●ウィキペディアフリー百科事典が案内する小宝島は、次の通り。

      小宝島
   小宝島(こだからじま)は、トカラ列島に浮かぶ島である。人口は58人、世帯数は32世帯(2015年
  12月31日現在)。
  【概要】
    ・人口 - 58人    ・面積 - 1.00km2    ・周囲 - 4.74km
    ・経緯 - 北緯29度13分、東経129度19分
    ・気候 - 亜熱帯(5月〜9月までに多く雨が降る)
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%9D%E5%B3%B6

●別に、十島村のHPにも、小宝島の紹介がある。

      小宝島ってどんな島?
   宝島の北東約16kmにある隆起サンゴ礁でできた周囲約4kmの小さな島。アダンやソテツが生い茂
  り、道路わきにはハイビスカスが咲き乱れる亜熱帯情緒あふれる島です。一番高い山でも標高103mと
  いう平坦な島で、30分も歩けば島一周でき、海上から見ると妊婦さんのように見えます。立神と呼ば
  れる多くの奇岩が海岸線にそびえ立ち幻想的な景観を織りなし、中でもウネ神、赤立神などは見ごた
  えがあります。
  【小宝島概要】
    •面積:1.00 km2   •周囲:4.74 km
    •動植物:ソテツ、アダン、ビロウの群生、トカラハブ
    •土地の利用状況:牧場、畑   •集落:小宝島
  http://www.tokara.jp/profile/kodakara.html  

◎小宝島は極めて小さい島である。上記説明に「面積 - 1.00km2」とあるように、縦1匆1劼梁腓さが小宝島だと思ったが良い。それも島の周回道路は2劼世噺世Δ里世ら、人の生活出来る場所は限られている。

◎江戸時代の記録である、「麑藩名勝考」や「三国名勝図会」、「薩隅日地理纂考」などで確認すると、江戸時代には小宝島には人が住んでいなかったことが判る。もともと小宝島は人が住むには極めて厳しい環境にある。

◎しかし、本来は宗教上の問題で人は小宝島には住まなかったものと思われる。それが小宝島が補陀落山だと言うことである。

◎普通には、宝島が存在して、その隣に小さな島があるので、宝島に対して小宝島と命名したと考える方が自然だろう。以前は、そのように考えていた。しかし、

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