○日本へ伝来した仏教がどういうものであったか。そういう仏教について考えているがこれまで、ブログ『観音菩薩の故郷:補陀落山』から『太陽崇拝の宗教』、『磐座信仰』、『辯才天信仰』、『神仏混淆の宗教』と書き続けて来た。
○前回、そういう日本への仏教伝来を考え、日本の仏教の起源を追い続けると、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島へ達すると言う話をした。信じられないかも知れないけれども、硫黄島は日本の舎衛なのである。このことについては以下のブログに書いている。
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『日本の舎衞国』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40613532.html
○前回、ブログ『神仏混淆の宗教』を書いて、日本の神仏混淆とされる宗教観は、何も日本オリジナルのものでは無い話をした。それは中国の仏教聖地や道教の聖地を訪問することによって確認することが出来る。つまり、神仏混淆の宗教観そのものが仏教とともに日本へ移入されて来たのである。
○これまで仏教部分について考えて来たので、今回、此処で考えるのは神仏混淆の神道部分としての側面である。仏教の方にも、ブログ『観音菩薩の故郷:補陀落山』、『太陽崇拝の宗教』、『磐座信仰』、『辯才天信仰』、『神仏混淆の宗教』と多くの顔が見られたように、神道の方にも多くの顔が存在する。最初に、ここでは『出雲神の出現』と題して、出雲神について考えてみたい。
●2013年1月に、村井康彦著「出雲と大和」(岩波新書)が出た。その帯書には次のような案内があった。
出雲は大和朝廷に隷属する存在でしかなかったとされ、これまで枠を越えた出雲論が出た気配は
ないし、出雲を古代史のなかで正当に位置づける作業はほとんどなされていないように思われる。
古代の出雲世界とは何だったのか。本書はその答えを求めて各地を訪ねた、文字通り、遍歴の軌跡
である。
●村井の「出雲と大和」は、出雲神を磐座崇拝と規定している点で大いに評価出来る。村井は実際に出雲国の各地を歩き、その磐座崇拝の様子を多数実見している。こういうふうに出雲神を規定している点で村井の説は注目に値する。
●ただ、村井が出雲と大和朝廷との関係を上記のように考えている点は大いに疑問の残るところである。出雲神の出現は決して出雲国だけではないのである。それは信濃国にも出現するし、紀伊国にも山城国にも、そしてもちろん大和国にも出現していることを見逃してはなるまい。
●そういう意味で、村井康彦著「出雲と大和」はなかなか面白い。村井の「出雲と大和」については、以前詳しく言及しているのでそちらを参照されたい。
・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読む
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37662211.html
・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「村井康彦:「出雲と大和」を読むΑ
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37678684.html
・書庫「邪馬台国検証」:ブログ『村井康彦:「出雲と大和」を読んで』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37717845.html
◎大和国一宮は大神神社と申し上げる。御祭神は大物主大神。つまり、もともと大和国は出雲神の領知する国であることが判る。大和国は天皇家の領知する国ではないか。誰もがそう思う。しかし、実際、大和国に齋き祀られているのは出雲神である。こんなおかしな話は無い。
◎村井の「出雲と大和」は出雲国の出雲神を詳細に検証している点で大いに評価される。しかし、残念ながら、出雲神の故郷は出雲国では無い。そのことは「古事記」や「日本書紀」をしっかり読むと判る。詳しくは、以下を参照されたい。
・書庫「日向国の万葉学」:ブログ『枕詞「八雲立つ」』
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/40548839.html
◎つまり、出雲神の故郷は出雲国ではないのである。村井の「出雲と大和」ではそれが理解されていない。出雲神の故郷は日向国である。そのことは、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
風景が出雲国の何処にも存在しないことからも明らかである。
◎出雲神の故郷は何処か。それは硫黄島以外に考えられない。日本の神話はそういうふうに理解すべきなのである。日本神話の意味するところは大きい。日向国にはそういう日本神話の舞台が現在でも存在する。そういうことを学者先生はまるでご存じ無い。
◎日本創世の歴史や神話を学習したいと思うならば、まずは日向国を訪れることだろう。最初に天孫降臨の地へ出掛け、せめて神代三山陵くらいは歩いてから歴史は語って欲しい。