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王昌齡:巴陵送李十二

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○岳陽楼公園は、城壁の上と下に分かれていて、そこには、10辰ら20辰曚匹涼丙垢ある。上の方には多くの茶店などが建ち並び、ちょうど夕暮れ時でもあったので、大勢の客で賑わっていた。下の段には児童公園なども存在する、緑の散策ルートとなっている。もう、かなり薄暗くなっているのに、ここには、まだ遊び足りない子供たちが大勢遊んでいるのが見えた。

○中国は、一人っ子政策で、子供が非常に大事に育てられているようで、公園で遊ぶ子供の後ろには、必ず、お母さんやお婆さんと覚しき人が付いて回っていた。公園内は木々も多く、夕暮れ時の割には、散策している人も多かった。

○その散策ルートの道筋に沿って、真新しい詩碑がずらりと並んでいる。それらの詩碑をいくつか写真に撮って来た。その中に、王昌齡の「巴陵送李十二」詩碑も存在した。

  【原文】
      巴陵送李十二  王昌齡
    搖曳巴陵洲渚分
    清江傳語便風聞
    山長不見秋城色
    日暮蒹葭空水雲

  【書き下し文】
      巴陵に李十二を送る  王昌齡
    搖曳す、巴陵、洲渚を分かち、
    清江は語を傳へて、便ち風に聞く。
    山は長く、見えず、秋の城を色づくも、
    日暮の蒹葭、水雲に空し。

  【我が儘勝手な私訳】
    草木が風に揺れる岳陽楼では、砂州の波打ち際が白く波立っているのが見え、
    清らかな湘水は滔々と古い伝承を今に伝え、それを風の便りに聞くことだ。
    君山は遙かに遠く、山全体が紅葉している様子もここからは見ることができない。
    夕暮れ時、洞庭湖の入江に、葦萩の白穂が空しく湖面と空との間に只揺れている。

○王昌齡は、李十二との送別をここ、岳陽楼で行ったのだろう。この詩は全体に、作者、王昌齡の悲しみが漂っている。あらゆるものに寂しさが存在すると作者は伝えて止まない。それは作者の心情をそのまま表現するものとなっている。

○見方によっては、それは、広大で、壮大な景色なのだけれども、作者、王昌齡には、全てが悲しみに映り、寂しさを表現するものとなっている。自然の風景は便利なもので、悲しい者には悲しく見え、嬉しい者には嬉しく見える。

○王昌齡が、
  清江傳語便風聞    清江は語を傳へて、便ち風に聞く。
と詠じるのは、おそらく、屈原の楚辞から連綿と続く巴陵の歴史そのものなのであろう。それは人の怨念であり、嘆きなのである。対岸にも、湘君と湘夫人を祀る君山が存在し、今に娥皇、女英二妃の涙の跡を伝えている。何もかもが別離の悲しさを増幅させて止まない。

○王昌齡の「巴陵送李十二」詩は、岳陽楼の風景を存分に詠いながら、存分にその悲しみをよく伝えている。

○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する王昌齡は、次の通り。

      王昌龄
  【百科名片】
   王昌龄 (698― 756),字少伯,河东晋?(今山西太原)人。盛唐著名边塞诗人,后人誉为“七绝?
  手”。早年贫贱,困于农耕,年近不惑,始中进士。初任秘书省校书郎,又中博学宏辞,授水尉,因
  事贬岭南。与李白、高?、王维、王之涣、岑参等交厚。开元末返长安,改授江?丞。被谤谪龙标尉。
  安史乱起,为刺史闾丘所杀。其诗以七绝见长,尤以登第之前赴西北边塞所作边塞诗最著,有“诗家夫
  子王江?”之誉(亦有“诗家天子王江?”的说法)。
    中文名: 王昌龄     别名: 少伯     国籍: 中国     民族: 汉族
    出生地: 河东晋?(今山西太原)   出生日期: 公元698年   逝世日期: 公元756年
    职业: 诗人     代表作品: 《出塞》《从军行》《芙蓉楼送辛渐》《长信宫词》
    作品风格: 语言精炼、意味浑厚     专长: 擅于边塞军旅、闺怨、宫怨、送别
後、長い説明が続くが略するしかない。詳しくは、以下を参照されたい。
  http://baike.baidu.com/subview/7521/5091150.htm?fromId=7521&from=rdtself

○日本のウィキペディアフリー百科事典には、残念ながら、王昌齡の項目がなかった。

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