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卑弥呼の正体:其の五十二

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○前回の最後に、
   ・何処の国や民族であっても自尊心とか自負心が存在し、なかなか自ら『禮を失し』と自己批判する
  ようなことは、まず無い。それなのに、『禮を失し』と自己批判したのに加えて、『之を四夷に求む』
  と言うことは、もっと可能性の無い話である。
  ・増して、それを記録しているのが中国の正史である「三国志」だと言うのだから、これはもう大事件
  である。そういうことを「三国志」から誰も読み取らないし、解説することも無い。判るように、「三
  国志」の編者、陳壽が極めて用意周到に「魏志倭人伝」を書いていることが判る。
  ・誰もそういうふうに「魏志倭人伝」を読まないし、読めない。それ程、「魏志倭人伝」を読み解くこ
  とは難しい。正確に「魏志倭人伝」を読むと、「魏志倭人伝」の主題が何であるかが見えて来る。「魏
  志倭人伝」の主題が倭国三十国の案内にあると言うことは、そういうことである。
と言うふうに書いた。それで、「魏志倭人伝」が描く邪馬台国の位置が気になった。これまで何度も邪馬台国の位置については書いているが、良い機会なので、この辺りで、一遍まとめてみたい。

○最初に、前回も案内した「魏志倭人伝」の主題から。「魏志倭人伝」の主題は倭国三十国の案内にあって、それは次のように案内される。
  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○続けて、「魏志倭人伝」が記録する魏国の帯方郡から邪馬台国までの道程を、整理した上で紹介したい。「魏志倭人伝」に拠れば、魏国の帯方郡から邪馬台国までの距離数は『萬二千余里』とある。それを分けて案内すると、次のようになる。
  ∥喨刈狗邪韓國=七千餘里
  狗邪韓國→對馬國=千餘里
  U馬國→一大國=千餘里
  ぐ貘舖□末盧國=千餘里
  ニ犀□伊都國=五百里
  Π謀墺□奴國=百里
  奴國→不彌國=百里
  不彌國→投馬國=千五百余里
  投馬國→邪馬壹國=八百余里

○これだけでもすでに十分過ぎるのだが、「三国志」の編者、陳壽は大天才であるからして、さらに次のように案内してみせる。こうなると、もう驚きを超えて呆れるしかない。それが陳壽の実力なのである。
  ・会稽→寧波(100辧
  ・寧波→舟山群島(150辧
  ・舟山群島→吐噶喇列島宝島(600辧法
  ・吐噶喇列島宝島→吐噶喇列島悪石島(50辧
  ・吐噶喇列島悪石島→吐噶喇列島諏訪之瀬島(24辧
  ・吐噶喇列島諏訪之瀬島→吐噶喇列島中之島(28辧
  ・吐噶喇列島中之島→吐噶喇列島口之島(14辧
  ・吐噶喇列島口之島→口永良部島(59辧
  ・口永良部島→硫黄島(36辧
  ・硫黄島→坊津(56辧

○ここで言う坊津は、もちろん、邪馬台国の主交易港であることは言うまでも無い。そして、邪馬台国の背後には上記した倭国三十国が存在することも忘れてはなるまい。

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