○前回、ブログ『きりしまのうねびやま』を受けて、ブログ『再度、きりしまのうねびやま』を書いた。
・書庫「大和三山」:ブログ『再度、きりしまのうねびやま』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41177431.html
○それに引き続き、今回はブログ『かごしまのさくらじまやま』を受けて、ブログ『再度、かごしまのさくらじまやま』について、考えてみたい。ブログ『かごしまのさくらじまやま』は、2011年6月20日(月)に書いている。
・書庫「大和三山」:ブログ『かごしまのさくらじまやま』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35064468.html
○今、改めて、ブログ『かごしまのさくらじまやま』を読み返してみると、自分で言うのも何だが、丁寧に香具山を検証していることに感心する。こういう姿勢を大事にしたい。
●さて、そのブログ『かごしまのさくらじまやま』の最後に、次のように書いている。
・今回、香具山を訪れた。何度訪れても、香具山はまるで小さい小山である。記紀が伝えるような伝
承の重みに堪えかねている山のような気がしてならない。早くそういう誤解から解放して欲しいとお
願いされている気がした。香具山の希望に出来るだけ添いたいと思った次第である。
●ブログ『かごしまのさくらじまやま』は、2011年6月20日(月)に書いているけれども、実際、この時大和三山に登ったのは、2011年5月3日(火)のことであった。この時期、大和三山をまとめる作業をしていて、
第4回:2009年3月29日(日)
第5回:2010年4月3日(土)
第6回:2011年5月3日(火)
と毎年のように大和三山へ登っている。それ以前は、
第1回:1992年3月28日(土)
第2回:2003年8月11日(月)
第3回:2005年5月10日(火)
であった。今年2017年9月5日(火)にも大和三山を登り、今回で7回目の大和三山登山であった。
●私見に拠れば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。つまり、「万葉集」で、最も多く歌われている大和三山が香具山だと言うことである。それは何故かと言うと、大和三山の中で、香具山が最も身近に存在した山であったことを意味する。
●朝な夕なに、人々の生活の中に密着している山が香具山だったことが判る。奈良県橿原市に存在する香具山にそういう気配があるかと言うと、香具山の何処にも、そういう様子は全くない。山であるからして、それは季節が違うのかも知れない。いろいろと考えてみても、奈良県橿原市の香具山にそういう雰囲気がまるで感じられないのである。
●それはそうだろう。ちなみに、今回、香具山へ登った時の様子を、次のように書いている。
・香具山西側登山口から登り始めたのは10時33分くらいだったのではないか。香具山山頂に立っ
たのは10時39分だったから、わずか6分で登ったことになる。それもそのはずで、西側登山口か
ら山頂までの距離数は150辰らいだし、西側登山口の標高は110辰濃劃困152辰世ら、
標高差も42辰靴ない。何ともあっけない登山である。
●こんな山に神威を感じる方がどうかしている。「万葉集」に、
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山
と詠じられる山がそんな山であるはずがない。大和国で第一の名山が香具山だと詠じたところで、誰も信用しない。幾ら何でも千辰らいは無いと、こうは詠わない。それが常識だろう。
◎ところが万葉学者先生は何もそんなことを考えない。わずか6分で登れる山が、
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山
だと信じて疑ない。そんな感覚は、何処かおかしい。
◎その点、日向国の香具山は凄い。香具山と言う名は、もともと「火の山」を意味する。例えば、岩波古語辞典には次のようにある。
かぐつち【迦具土・火神】
《カグはカガヨヒのカガと同根。光のちらちらする意。ツは連体助詞。チは精霊》
かぐや姫
《カガヨヒ・カギロヒと同根。ヤは状態をいう接尾語》
光るように美しい姫。竹取物語の女主人公。
◎また香具山には「天の香具山」と「天の」が付く。これは枕詞とも違う。同じような表現に「天橋立(あまのはしだて)」がある。「天橋立(あまのはしだて)」は海中に存在する砂洲である。それなら、「天の香具山」だって、当然、海中に存在する山の意だろう。
◎ところが奈良県には海が無い。奈良県で言う「天の香具山」は「天橋立(あまのはしだて)」とは別の存在なのだろうか。面白いことに、奈良県の「天の香具山」は、天から降って来たと言う伝承がある。それも風土記に掲載されていると言う。だから、「天の香具山」と称すると言う。
◎天から山が降って来るなどと言う話は、小学生だって信じない。そんな話を万葉学者先生はまことしやかにおっしゃる。しかし、よくよくその伝承を検証すると、とんでもないことが判る。
◎「天の香具山」が天から山が降って来たと言う伝承は、風土記の何処にも存在しない。存在するのは伊予国風土記逸文であって、それも江戸時代に採択されたものであって、到底、信用するには当たらない。どう考えたところで、「天の香具山」と「天橋立(あまのはしだて)」は同じ考え方だろう。つまり、香具山は畝傍山や耳成山と違って、海中に存在する山だと言うことになる。
◎香具山で決定的なのは、枕詞の存在だろう。香具山には枕詞が存在する。それは『天降り付く』と言う。これも岩波古語辞典で紹介すると、次のようにある。
あもりつく【天降りつく】(枕詞)
香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。
天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば(万二五七)
◎ちなみに、「万葉集」巻一、二五七番の和歌を見ると、次のようにある。
鴨君足人の香具山の歌一首
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の晩茂に
沖辺は 鴨妻呼ばひ 辺つ方に あぢむら騒ぎ 百磯城の 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には
楫棹も 無くて寂しも 漕ぐ人無しに
◎その頭注には、以下のようにあった。
天降りつく
天から降って下界についた。当時香具山にはそのような伝説があった。伊予国風土記の逸文に
その記事がある。
◎昔から、そのように言っているから、それを信じましょうと万葉学者先生はおっしゃる。しかし、山が天から降って来ると言う話はどう考えても信用できない。喉に掛かった魚の骨では無いけれども、このことは学生時代から、ずっと気になっていた。
◎それが氷解したのは、2012年12月4日(火)の、午後4時40分から5時40分くらいまでのことであった。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37290249.html
・書庫「大和三山」:ブログ『再度、きりしまのうねびやま』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/41177431.html
○それに引き続き、今回はブログ『かごしまのさくらじまやま』を受けて、ブログ『再度、かごしまのさくらじまやま』について、考えてみたい。ブログ『かごしまのさくらじまやま』は、2011年6月20日(月)に書いている。
・書庫「大和三山」:ブログ『かごしまのさくらじまやま』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/35064468.html
○今、改めて、ブログ『かごしまのさくらじまやま』を読み返してみると、自分で言うのも何だが、丁寧に香具山を検証していることに感心する。こういう姿勢を大事にしたい。
●さて、そのブログ『かごしまのさくらじまやま』の最後に、次のように書いている。
・今回、香具山を訪れた。何度訪れても、香具山はまるで小さい小山である。記紀が伝えるような伝
承の重みに堪えかねている山のような気がしてならない。早くそういう誤解から解放して欲しいとお
願いされている気がした。香具山の希望に出来るだけ添いたいと思った次第である。
●ブログ『かごしまのさくらじまやま』は、2011年6月20日(月)に書いているけれども、実際、この時大和三山に登ったのは、2011年5月3日(火)のことであった。この時期、大和三山をまとめる作業をしていて、
第4回:2009年3月29日(日)
第5回:2010年4月3日(土)
第6回:2011年5月3日(火)
と毎年のように大和三山へ登っている。それ以前は、
第1回:1992年3月28日(土)
第2回:2003年8月11日(月)
第3回:2005年5月10日(火)
であった。今年2017年9月5日(火)にも大和三山を登り、今回で7回目の大和三山登山であった。
●私見に拠れば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。つまり、「万葉集」で、最も多く歌われている大和三山が香具山だと言うことである。それは何故かと言うと、大和三山の中で、香具山が最も身近に存在した山であったことを意味する。
●朝な夕なに、人々の生活の中に密着している山が香具山だったことが判る。奈良県橿原市に存在する香具山にそういう気配があるかと言うと、香具山の何処にも、そういう様子は全くない。山であるからして、それは季節が違うのかも知れない。いろいろと考えてみても、奈良県橿原市の香具山にそういう雰囲気がまるで感じられないのである。
●それはそうだろう。ちなみに、今回、香具山へ登った時の様子を、次のように書いている。
・香具山西側登山口から登り始めたのは10時33分くらいだったのではないか。香具山山頂に立っ
たのは10時39分だったから、わずか6分で登ったことになる。それもそのはずで、西側登山口か
ら山頂までの距離数は150辰らいだし、西側登山口の標高は110辰濃劃困152辰世ら、
標高差も42辰靴ない。何ともあっけない登山である。
●こんな山に神威を感じる方がどうかしている。「万葉集」に、
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山
と詠じられる山がそんな山であるはずがない。大和国で第一の名山が香具山だと詠じたところで、誰も信用しない。幾ら何でも千辰らいは無いと、こうは詠わない。それが常識だろう。
◎ところが万葉学者先生は何もそんなことを考えない。わずか6分で登れる山が、
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香久山
だと信じて疑ない。そんな感覚は、何処かおかしい。
◎その点、日向国の香具山は凄い。香具山と言う名は、もともと「火の山」を意味する。例えば、岩波古語辞典には次のようにある。
かぐつち【迦具土・火神】
《カグはカガヨヒのカガと同根。光のちらちらする意。ツは連体助詞。チは精霊》
かぐや姫
《カガヨヒ・カギロヒと同根。ヤは状態をいう接尾語》
光るように美しい姫。竹取物語の女主人公。
◎また香具山には「天の香具山」と「天の」が付く。これは枕詞とも違う。同じような表現に「天橋立(あまのはしだて)」がある。「天橋立(あまのはしだて)」は海中に存在する砂洲である。それなら、「天の香具山」だって、当然、海中に存在する山の意だろう。
◎ところが奈良県には海が無い。奈良県で言う「天の香具山」は「天橋立(あまのはしだて)」とは別の存在なのだろうか。面白いことに、奈良県の「天の香具山」は、天から降って来たと言う伝承がある。それも風土記に掲載されていると言う。だから、「天の香具山」と称すると言う。
◎天から山が降って来るなどと言う話は、小学生だって信じない。そんな話を万葉学者先生はまことしやかにおっしゃる。しかし、よくよくその伝承を検証すると、とんでもないことが判る。
◎「天の香具山」が天から山が降って来たと言う伝承は、風土記の何処にも存在しない。存在するのは伊予国風土記逸文であって、それも江戸時代に採択されたものであって、到底、信用するには当たらない。どう考えたところで、「天の香具山」と「天橋立(あまのはしだて)」は同じ考え方だろう。つまり、香具山は畝傍山や耳成山と違って、海中に存在する山だと言うことになる。
◎香具山で決定的なのは、枕詞の存在だろう。香具山には枕詞が存在する。それは『天降り付く』と言う。これも岩波古語辞典で紹介すると、次のようにある。
あもりつく【天降りつく】(枕詞)
香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。
天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば(万二五七)
◎ちなみに、「万葉集」巻一、二五七番の和歌を見ると、次のようにある。
鴨君足人の香具山の歌一首
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の晩茂に
沖辺は 鴨妻呼ばひ 辺つ方に あぢむら騒ぎ 百磯城の 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には
楫棹も 無くて寂しも 漕ぐ人無しに
◎その頭注には、以下のようにあった。
天降りつく
天から降って下界についた。当時香具山にはそのような伝説があった。伊予国風土記の逸文に
その記事がある。
◎昔から、そのように言っているから、それを信じましょうと万葉学者先生はおっしゃる。しかし、山が天から降って来ると言う話はどう考えても信用できない。喉に掛かった魚の骨では無いけれども、このことは学生時代から、ずっと気になっていた。
◎それが氷解したのは、2012年12月4日(火)の、午後4時40分から5時40分くらいまでのことであった。
・書庫「竹島・硫黄島・黒島」:ブログ『枕詞「天降り付く」の真実』
https://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/37290249.html