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曹松:客中立春

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○立春の詩を案内しているが、今回、案内するのは、曹松の『客中立春』詩である。
  【原文】
      客中立春
          曹松
    玉燭傳佳節
    陽和應此辰
    土牛呈歳稔
    彩燕表年春
    臘盡星回次
    寒余月建寅
    梅花將柳色
    偏思越鄉人

  【書き下し文】
      客中立春
          曹松
    玉燭は、佳節を傳へ、
    陽和は、應に此の辰なるべし。
    土牛は、歳稔を呈し、
    彩燕は、年春を表す。
    臘の盡き、星の回り次げば、
    寒余は、月に寅を建つ。
    梅花の、將に柳色ならんとすれば、
    偏へに越鄉人を思ふ。

  【我が儘勝手な私訳】
      旅の途中に、立春を迎える
          曹松
    天下泰平の世に、立春の佳き日が訪れ、
    温和舒暢の陽気とは、ちょうど今朝のようなのを言うのであろう。
    陶器の牛飾りは、その年の豊年満作を祈願するものであり、
    彩花彩燕は、新年の訪れを祝い、飾るものである。
    旧年の十二月が終了し、星座が次に向かうのは、
    大寒の後、寒余の中で、目出度く正月が訪れる。
    梅の花が咲き、ちょうど柳の新芽が芽吹く季節となろうとしている、
    そういう春日に、私は遠く故郷を離れた自分を振り返ることである。

○日本のウィキペディアフリー百科事典が案内する曹松は、次の通り。
      曹松
   曹 松(そう しょう、830年? - 901年?)は、中国晩唐の詩人。字は夢徴。豫州の人。若くして
  戦乱から逃れ、洪州の西山で隠遁生活を送った。最晩年の70歳を過ぎて科挙の進士試験に合格した
  が、その後間もなく世を去ったと伝えられる。
   黄巣の乱を詠んだ「己亥歳(きがい の とし)」は、その結句「一将功成りて万骨枯る(いっしょ
  う こう なりて ばんこつ かる)」(一人の将軍が功名を成した陰には万人の兵士たちの犠牲がある
  という意味)で広く知られ、戦争の空しさ、愚かさを示す警句として使われている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/曹松

○中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する曹松は、次の通り。
      曹松 (晚唐诗人)
   曹松,唐代晚期诗人。字梦徵。舒州(今安徽潜山)人。生卒年不详。早年曾避乱栖居洪都西山,后
  依建州刺史李频。李死后,流落江湖,无所遇合。光化四年(901)中进士,年已70余,特授校书郎(秘
  书省正字)而卒。
   曹松诗作,风格似贾岛,工于铸字炼句。因他生活在社会底层,故同情劳动人民的苦难,憎恶战争。
  他在《己亥岁二首》诗中写道:“泽国江山入战图,生民何计乐樵苏?凭君莫话封侯事,一将功成万骨
  枯。”论者谓此诗精炼隽永,超过了前人同题材诗作。
   曹松不满现实但又热衷功名,多次参加科举应试,直到昭宗天复元年(901)才以71岁高龄中进士。因
  同榜中王希羽、刘象、柯崇、郑希颜等皆年逾古稀,故时称“五老榜”。曹松被授任校书郎,后任秘书
  省正字。终因风烛残年,不久谢世。遗作有《曹梦征诗集》3卷。《全唐诗》录其诗140首。
  https://baike.baidu.com/item/曹松/52063?fr=aladdin

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