○前回、蘇軾の『次韻秦少游王仲至元日立春三首(其の一)』詩を案内したのに引き続き、今回は『次韻秦少游王仲至元日立春三首(其の二)』を紹介したい。
【原文】
次韻秦少游王仲至元日立春三首(其の二)
蘇軾
己卯嘉辰壽阿同
願渠無過亦無功
明年春日江湖上
回首觚稜一夢中
【書き下し文】
次韻秦少游王仲至元日立春三首(其の二)
蘇軾
己卯の嘉辰、壽阿は同じく、
願はくは渠に過無く、亦た功無からんことを。
明年の春日、江湖の上にあって、
觚稜を回首すれば、一夢中。
【我が儘勝手な私訳】
秦觀の「次韻王仲至侍郎」詩に和して、元日立春詩三首を作る(其の二)
蘇軾
北宋の元符二年(1099年)元旦、いつもの年のように年齢を重ねたが、
出来たら、今年、友人の秦観や王欽臣に咎が無く、罪せらるることの無いように。
元符二年(1099年)の元旦立春の日、私は海南島儋州にあって、
嘗て居た宮闕を懐古すれば、それはもう遥か昔の話で、夢のまた夢でしかない。
○前回説明したように、蘇軾の『次韻秦少游王仲至元日立春三首』詩は連作であるからして、それぞれの詩が補完し合って、詩が成り立っていると考えるべきだろう。『其の二詩』冒頭には、
己卯嘉辰壽阿同
とある。蘇軾が生きた時代は景祐3年(1037年)から建中靖国元年7(1101年)の間である。そのうち、干支が己卯なのは、北宋の元符二年(1099年)だと言うことになる。
○したがって、蘇軾の『次韻秦少游王仲至元日立春三首』詩が成立したのは、蘇軾64歳の時で、海南島儋州に居たことになる。そして、 建中靖国元年(1101年)、蘇軾は恩赦に遭って、都へ帰る途中、常州で亡くなっている。享年66歳。『其の二詩』にある、
明年春日江湖上 明年の春日、江湖の上にあって、
回首觚稜一夢中 觚稜を回首すれば、一夢中。
は、まさに現実でしかなく、蘇軾が再び都を見ることは無かったことになる。