○前回、高適の『田家春望』詩を案内した。
・書庫「無題」:ブログ『高適:田家春望』
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○今回は、引き続き、高適の『詠史』詩を案内したい。
【原文】
詠史
高適
尚有綈袍贈
應憐范叔寒
不知天下士
猶作布衣看
【書き下し文】
史を詠む
高適
尚ほ、綈袍の贈有るは、
應に范叔の寒を憐れむなるべし。
天下の士なるを知らず、
猶ほ、布衣の看を作す。
【我が儘勝手な私訳】
須賈は范睢に再会して、久し振りに出逢って厚い綿入れの上着を贈ったのは、
范睢がみすぼらしい風体をしていたのに同情したからに他ならない。
須賈は范睢が今では秦国の宰相であることも全く気付かなかった、
昔同様、無位無官の平民と思っていたとは、何とも人を見る目がないことだ。
○前回の高適『田家春望』詩も、酈食其の故事に基づく話であった。それは、司馬遷「史記」卷九十七『酈生陸賈列傳』第三十七が載せるものである。
○今回の、高適の『詠史』詩も、范雎の故事に基づく話となっている。それは、司馬遷『史記』巻七十九『范雎蔡沢列伝』第十九が載せるものである。
○高適は八世紀の詩人である。それに対して、酈食其や范雎は、紀元前三世紀の人物である。両者の間には、およそ千百年の時代差がある。現代で言うと、千百年前と言えば、平安時代となる。隔世の感とは、こういう時代差を言うのであろうか。
○また、表題に「詠史」とあることなどから、高適は相当、歴史通だったと思われる。司馬遷の「史記」が愛読書だったのではあるまいか。そういう点では、現代の私たちとも、大いに共通するところがある。
○司馬遷「史記」最大の英雄が項羽であることは、衆目の一致するところだろう。もちろん、私も項羽の大ファンの一人である。項羽のお墓は、安徽省马鞍山市和县乌江镇に存在する。此処が項羽の没地であることは、司馬遷の「項羽本紀」で、あまりに有名である。
○2014年6月20日に、安徽省马鞍山市和县乌江镇の『西楚覇王霊祠』へ、参詣を済ませている。
・書庫「西楚覇王霊祠」:ブログ『西楚覇王霊祠』
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○二十一世紀の私たちも、八世紀の高適と同じように、司馬遷の「史記」を読んで感動させられる。それは単に高適だけではない。杜牧には『「題烏江亭」詩があり、王安石には『和題烏江亭』詩、李清照には『夏日絶句』詩がある。杜牧は九世紀の詩人であり、王安石は十一世紀、李清照は十二世紀の詩人である。
○そういう歴史を辿るのも、また楽しい。
・書庫「西楚覇王霊祠」:ブログ『史記:「烏江亭」』
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・書庫「西楚覇王霊祠」:ブログ『杜牧:題烏江亭』
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・書庫「西楚覇王霊祠」:ブログ『王安石:和題烏江亭』
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・書庫「西楚覇王霊祠」:ブログ『李照:夏日絶句(又名:烏江)』
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○忘れてならないのは、司馬遷自体が大の項羽ファンだと言うことである。だから、『項羽本紀』と言う名文をものした。『項羽本紀』の全字数は、6996字である。誰もそういう話をしないけれども、そういう発見をする楽しみが司馬遷の「史記」にはある。
○高適の『詠史』詩を読みながら、そういうことを思った。