○これまで、『陌上桑』詩を次のように見て来た。
¥綏(漢楽府诗)
陌上桑(曹操詩作)
o綏(魏文帝曹丕詩)
わ綏(魏國曹植詩)
ワ綏(呉均詩作)
○今回案内するのは、王筠詩作の『陌上桑』である。
【原文】
陌上桑(王筠詩作)
人傳陌上桑,未曉已含光。
重重相蔭映,軟軟自芬芳。
秋胡始停馬,羅敷未滿筐。
春蠶朝已伏,安得久彷徨。
【書き下し文】
陌上桑(王筠詩作)
人の傳ふ、陌上桑、未だ曉ならざるに已に光を含む。
重重として相蔭映し、軟軟として自から芬芳たり。
秋胡の始めて馬を停むるに、羅敷は未だ筐を滿たさず。
春蠶は朝、已に伏せば、安くんぞ久しく彷徨するを得んや。
【我が儘勝手な私訳】
伝説では、畦道の桑の木は、まだ夜明けにならないのに、既に光っていると言う。
重ね重ね影と光が相互に照り映えるので、柔らかく軽やかな雰囲気に満ち満ちている。
魯人である秋胡が最初に馬を停めた時、羅敷はまだ桑の葉を十分摘んでいなかった。
春の蚕は朝にはもう空腹そのものだから、どうして長い時間徘徊することなどできようか。
○まずは、作者である王筠について。中国の検索エンジン百度の百度百科が案内する王筠は、次の通り。
王筠 (南朝梁文学家)
王筠 字元礼,一字柔。祖籍琅邪临沂(今山东临沂)人。王僧虔之孙。曾任昭明太子萧统的属
官。梁武帝中大通三年 (531),萧统卒,出为临海太守。还京,任秘书监、太府卿、度支尚书、太子
事。侯景之乱,坠井而亡。
https://baike.baidu.com/item/王筠/776077#viewPageContent
○日本のウィキペディアフリー百科事典にも、王筠項目が存在する。
王イン
王 筠(おう いん、481年 - 549年)は、南朝梁の官僚、文人。字は元礼、またの字は徳柔。小字
は炬。本貫は琅邪郡臨沂県。
https://ja.wikipedia.org/wiki/王イン
○王筠の『陌上桑』詩を読むには、秋胡と羅敷を知らなくては読めない。『百度百科』では、次のように案内している。
秋胡
秋胡,春秋鲁人﹐婚后五日﹐游宦于陈﹐五年乃归﹐见路旁美妇采桑﹐赠金以戏之﹐妇不纳。及还
家﹐母呼其妇出﹐即采桑者。妇斥其悦路旁妇人﹐忘母不孝﹐好色淫佚﹐愤而投河死。后以"秋胡"泛指
爱情不专一的男子。
https://baike.baidu.com/item/秋胡/9643449?fr=aladdin
罗敷 (古代美女)
罗敷,一个姓秦的农家女,以采桑为生,大约生活在汉末至三国时期。她忠于爱情,热爱家乡、热爱
生活,是古邯郸美女的代表。作为邯郸历史文化的著名典故之一,她的故事被广为传颂,为乐府《陌上
桑》的主人公,在《孔雀东南飞》中代指美女。
罗敷出生于邯郸市三陵乡姜窑村,父亲秦敏能歌善舞、颇有文才,后参军殉国。母亲是附近黄窑村张
门之女。罗敷兄妹三人,哥秦宝、姐秦莲,罗敷小名小英。
小英(罗敷)10岁时,家乡因遭受洪灾,全家搬至村西卧龙岗上,山中一尼姑见她聪明伶俐,便收其
为徒,起名为“罗敷”。罗敷长大成人与乡邻王仁相爱,但她在田间采桑时却被赵王看中抢入宫中,其
夫得知后自杀殉情,罗敷也在悲痛中投身村西的龙潭内。
https://baike.baidu.com/item/罗敷/5231?fr=aladdin