○陳子昂の『薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』から、『陳子昂:薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』として、最初に『軒轅台』詩を訳し、続けて、『薊丘覽古・燕昭王』詩、『薊丘覽古・樂生』詩と訳してきた。
○したがって、今回案内するのは、陳子昂の『薊丘覽古・燕太子』詩である。
【原文】
薊丘覽古・燕太子
陳子昂
秦王日無道
太子怨亦深
一聞田光義
匕首贈千金
其事雖不立
千載爲傷心
【書き下し文】
薊丘覽古・燕太子
陳子昂
秦王は日に無道なり、
太子は亦た深く怨む。
一たび聞く、田光の義、
匕首千金を贈る。
其の事立たずと雖も、
千載の傷心と爲る。
【我が儘勝手な私訳】
秦王政の無道振りは日に日に増すばかりであった、
燕の太子丹は、秦王政のことを非常に怨んでいた。
そういう時に、燕の太子丹は田光から荊軻の話を聞き、
大金をはたいて、徐夫人の匕首を手に入れ、荊軻に贈った。
燕の太子丹の、秦王政暗殺は成功しなかったとは言っても、
燕の太子丹のしたことは、永遠の悲痛事件として残された。
○陳子昂の『薊丘覽古・燕太子』詩は、司馬遷の「史記」、巻八十六『刺客列伝』の最後、荊軻伝そのもと言うしかない。それは二十一世紀の私たちにも、七世紀の陳子昂と同様、目にすることができる。
○あらためて、司馬遷の「史記」、巻八十六『刺客列伝』の最後、荊軻伝を取り出して、陳子昂の『薊丘覽古・燕太子』詩を読むと、そのことがよく判る。おそらく、陳子昂は、そういうふうにして、『薊丘覽古・燕太子』詩を読めと言うのであろう。
○判るように、陳子昂の『薊丘覽古贈盧居士藏用七首(並序)』は連作である。このようにして、続けて読まないと、その真意は理解されない。なかなか面倒な作品である。